大判例

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横浜地方裁判所 平成元年(ワ)2867号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

久連山剛正

梅澤幸二郎

本田敏幸

高橋理一郎

大島正寿

木村哲也

福島武司

山下幸夫

被告

神奈川県

右代表者知事

岡崎洋

右訴訟代理人弁護士

福田恆二

相澤清

小田重人

滝島均

大嶋和平

濱田一美

五味門視

高松瑞男

屋美勇一

大場信幸

戝津吉典

被告

右代表者法務大臣

長尾立子

右指定代理人

髙井康行

外八名

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

被告らは、原告に対し、各自金三〇〇八万五九二三円及びこれに対する昭和六三年五月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、原告を被疑者とする有印私文書偽造・同行使等被疑事件に係る一連の刑事手続が原告の本来犯罪ではない活動の有無を取り調べる目的で違法不当に利用されたこと及び神奈川県警察本部(以下「神奈川県警」という。)所属警察官から報道機関へ原告の逮捕、勾留被疑事実と関係のない情報が不当に提供されたことにより、原告が被った精神的、財産的損害について、被告らに対し国家賠償法一条一項に基づく損害賠償を求めるものである。

二  争いのない事実等

1  原告

原告は、神奈川県横須賀市〈番地略〉において「カフェバースクエアA」(以下「A」という。)を経営していた者である。

2  逮捕、勾留、釈放等の経過

原告は、昭和六三年五月二五日、有印私文書偽造・同行使の被疑事実(要旨 被疑者は、昭和六〇年五月二九日、横須賀市〈番地略〉所在の相互不動産(代表者小林秀子)事務所において、大久保澄代所有に係る同市〈番地略〉所在の××郵便局二階の部屋を賃借するに際し、自己を乙川春子であると詐称したうえ、行使の目的をもってほしいままに、情を知らない右小林秀子をして、賃貸借契約書二通の借主欄に「横須賀市〈番地略〉乙川春子」、連帯保証人欄に「同番地乙川一夫」と記入させ、その各名下に被疑者が乙川と刻印した印章を押捺し、もって、同日付けの貸室賃貸借契約書二通を偽造し、右小林秀子を介して賃貸人大久保澄代に対し、これを真正に成立したもののように装って、一通を提出して、行使したものである。)につき神奈川県警司法警察員が請求し横浜簡易裁判所裁判官が発布した逮捕状により逮捕され、同月二七日、右事実に加えて公正証書原本不実記載・同行使を被疑事実(被疑者は、昭和六〇年六月一日ころから、横須賀市〈番地略〉所在の××郵便局二階の部屋に居住している者であるが、同市〈番地略〉に転居した事実がないのに、同六一年一二月一一日、同市公郷町二丁目一一番地所在の横須賀市役所衣笠行政センターにおいて、同行政センター備付けの住民異動届用紙を用い、情を知らない同行政センター職員をして、その新住所欄に「××」「×」丁目「×」番「×」号、転入年月日欄に「61.11.10」等と各記入させて、横須賀市長宛の虚偽の事実を記載した一一日付け住民異動届を作成の上、これを兵庫県西宮市長発行の同月二日付け住民異動届(転出証明書)とともに右横須賀市役所係員に提出し、もって、公務員に対し、被疑者が、右年月日に右新住所に転入した旨虚偽の申し立てをし、情を知らない同市役所係員をして同市役所の住民基本台帳中の住民票原本にその旨不実の記載をさせ、即時これを同出張所に真正なものとして備え付けさせて行使したものである。)として横浜地方検察庁(以下「横浜地検」という。)検察官検事が勾留請求し横浜地方裁判所裁判官が発布した勾留状により勾留され、同年六月三日、右裁判官による勾留期間延長の裁判を経た後、勾留期間の満了日である同月一五日、公正証書原本不実記載・同行使の罪名で横浜簡易裁判所に略式起訴され、同日、同裁判所において罰金五万円の略式命令を受け、右有印私文書偽造・同行使の事実については処分保留のまま釈放された。

原告は、逮捕後釈放されるまでの二二日間、神奈川県横浜水上警察署内の留置場(以下、警察署内の留置場を監獄に代用することを「代用監獄」という。)に留置されて取り調べを受けた。その間、横浜簡易裁判所裁判官は、神奈川県警司法警察員らの請求に基づき、原告の自宅、A及び原告の実家並びにB、C、D、E及びFの各自宅を捜索すべき場所とする捜索・差押許可状を発布し、神奈川県警の司法警察員らは、右捜索・差押許可状に基づき、同年五月二五日、同月三〇日、同年六月一一日及び同月一三日に原告の自宅を、同年五月二五日、同月三〇日、同年六月一一日及び同月一四日にAを、その他、原告の実家並びに右B、C、D、E及びFの各自宅をそれぞれ捜索し、右捜索場所において別紙一の押収物一覧表記載の物件を差し押さえた。

原告は、同年七月二一日、有印私文書偽造・同行使の被疑事実につき、不起訴処分(起訴猶予)になった。

外務大臣は、同年七月二九日、原告が「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞れがあると認めるに足る相当の理由がある者」に当たる旨判断し、発給していた数次往復用一般旅券の返納を命じた。(乙一、二の一、二)。

3  新聞報道等

(一) 朝日新聞、讀賣(以下「読売」という。)新聞、毎日新聞、産経新聞及び東京新聞は、昭和六三年六月四日から同月一六日にかけて、原告について、別紙新聞記事一覧表記載の各記事番号に対応する見出しの新聞記事をそれぞれ報道した。

(二) 神奈川県警が行った報道各社の記者に対する説明は、次のとおりである。

塩川実喜夫外事課長(以下「塩川外事課長」という。)は、朝日新聞の朝刊において、原告の犯罪事実が最初に報道された昭和六三年六月四日、外事課に詰めかけた報道各社の記者に対し、増田誠次課長代理陪席のうえで、被疑事実は有印私文書偽造・同行使及び公正証書原本不実記載・同行使であること並びに被疑者は横須賀市居住の女性であることを説明し、各記者からの質問に対して、①逮捕事実は有印私文書偽造・同行使であり、それはアパート賃貸借契約に関するものである、②公正証書原本不実記載・同行使の事実は住民票に関するものである、③被疑者の年齢は三二歳であると説明した。

塩川外事課長は、東京新聞朝刊において、原告が偽造旅券を使って渡航し、よど号事件犯人の柴田泰弘と二人で肩を並べて写っているカラー写真を神奈川県警が入手したなどを内容とする記事が掲載された同月六日、外事課に詰めかけた報道各社の記者が右記事の真偽や乱数表の有無等を質問したのに対して、否定的な応答をした。

奥村萬壽雄警備部長は、報道各社から、原告の渡航歴についての取材申し入れが重なったので、同月一四日ころ、複数の報道各社の記者の取材を受けて、原告が昭和五二年に香港に向けて出国し、その後短期間の渡航を繰り返した旨を説明した。

塩川外事課長は、同六三年六月一五日、複数の報道各社から、処分内容の取材を受けて、原告が略式命令請求となり、罰金を納付して釈放された旨を説明した。

第三  原告の主張

一  逮捕・勾留・捜索差押え等

1  違法な目的による逮捕(被告県に対して)

(一) 逮捕状記載の被疑事実(以下「逮捕事実」という。)に関する捜査は、原告と大韓航空機爆破事件との関係をほのめかす密告電話により開始され、逮捕状発布の必要性についての捜査報告書には、原告と朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」という。)工作員キム・ユー・チョルとの接触及び原告と「よど号」ハイジャック事件の被疑者との接触が記載されており、原告に対する取調べのほとんどは北朝鮮工作員との関係や原告が行った情報収集活動に関するものであった。

(二) 逮捕事実において原告が使用したとされる「乙川春子」という氏名は、原告の通称であって偽名ではないから、原告が右文書の作成名義を偽ったとはいえない。仮に、原告が「乙川春子」という氏名を使用したことが私文書偽造に当たるとしても、逮捕事実は、三年も前に右氏名を使用したというもので、逮捕当時、既に原告は本名でその居住するマンションの賃貸借契約を締結し住民票記載の住所に居住していたのであるから、逮捕事実の違法状態は、解消されていたものといえる。

また、神奈川県警は、原告の逮捕時までに、偽造文書とされた賃貸借契約書を入手し、原告が右契約の際「乙川春子」と称していたとする不動産業者の供述、原告と「乙川春子」が同一人物であるとする近隣住民の供述等を得ていたから、逮捕事実の客観面の捜査は右時点までには終了しており、証拠の保全も十分であって、逮捕後も逮捕事実については形式的な一応の取調べが行われたのみであった。

したがって、逮捕事実について、神奈川県警が強制捜査の対象としたのは不当であり、原告の逮捕の必要性は欠けていた。

(三) 原告を被疑者とする本件逮捕手続きは、捜査官憲である神奈川県警において、本来我が国の法律上罪とならない原告と北朝鮮工作員との接触関係等の実態を取り調べるために利用した強制捜査手続きであり、罪とならない「本件」(北朝鮮工作員との接触関係等)を取り調べる目的で、本来、逮捕の対象となり得ない軽微な被疑事実(賃貸借契約書に通称で署名した事実)により身柄拘束を行った「本件」なき「別件逮捕」である。

ところで、いわゆる「別件逮捕」とは、本命の事件である「本件」につき逮捕の要件が具備していないのに、その取調べに利用する目的で、逮捕の要件が具備している別件でことさらに逮捕する捜査方法のことをいうが、右「別件逮捕」は、「本件」について、逮捕の理由及び必要性がなく、逮捕に伴う諸権利の保障及び告知がないので憲法三三条、同三四条の定める令状主義に反し、また「本件」についての自白を獲得するという本来許されない目的のために「別件」の捜査手続きが利用されるという点で刑事訴訟法六〇条一項に反するものであるが、原告を被疑者とする一連の本件強制捜査手続きは、いわゆる「別件逮捕」と異なり、「本件」すら存在しないから、本来許されない身柄拘束を行ったという点で憲法三一条の定めるデュープロセスの保障にも反するものである。

また、本件捜査においては、その捜査の対象及び内容は極めて膨大であり、本件被疑事実の情状を捜査したというには余りにも均衡を欠く捜査が行われているのであって、その捜査実態からすれば、その主眼は、右「本件」に関する捜査にあったというべきであり、「動機、背景、目的」それ自体を捜査の目的としていたとしか考えられないから、本件捜査は本来許された捜査の範囲を逸脱するものとして違憲違法である。

なお、被告県は、原告逮捕の理由として、原告には、旅券法二三条一項一号に該当する疑いも認められたとするが、これは、旅券法違反の被疑事実についても、別件である逮捕事実による逮捕を利用して、取調べをしようという「別件逮捕」を企図していたことを自ら認めたものである。

2  勾留請求及び勾留延長請求の違法性(被告国に対し)

(一) 本件勾留は、有印私文書偽造・同行使及び公正証書原本不実記載・同行使を被疑事実とするもの(以下「勾留事実」という。)であるが、勾留請求書では、原告がいわゆるチュチュ思想(北朝鮮労働党の唯一思想である「主体思想」)を学習していたこと等から、本件勾留事実は北朝鮮のスパイである疑いが濃厚である原告が別人に成り済まして日本国外におけるスパイ活動を容易にするために敢行したものであると断定している。

(二) 本件勾留事実のうち、公正証書原本不実記載・同行使については、前記1(二)のとおり、原告は逮捕当時には現実に居住しているマンションを住所地としていたもので、逮捕事実と同様に、あえて過去の事実をもって勾留する必要性はない。

(三) さらに、勾留延長を必要とした理由について、被告国は、事案が複雑で関係者が多数に及ぶほか、解明を要する事実関係が海外にまたがるという特殊事情があるため慎重な裏付け捜査を要したというが、右勾留延長の理由は、勾留事実に関するものではなく、原告と北朝鮮工作員との接触や原告が北朝鮮工作員として活動していた事実に関するものであることは明らかであり、専らその事実の取調べのためだけに勾留延長したことを被告国自らが認めているものといえる。

(四) 以上によると、本件勾留請求及び勾留延長請求は、原告と北朝鮮工作員との接触関係の実態を解明する目的で行われた違法な「本件」なき「別件勾留」であるから、検察官がかかる違法な目的で行った勾留請求及び勾留延長請求は「本件」なき「別件逮捕」と同様に違憲違法である。

3  原告の逮捕留置及び代用監獄への身柄収容の違法性

(一) 原告の逮捕留置の違法性(被告県に対し)

原告は、逮捕後勾留されるまで水上警察署留置場に留置されたが、施設収容を必要とするような身柄拘束は、勾留として認められることがあっても、逮捕に付随する処分として許容することはできないのであって、刑事訴訟法二〇三条ないし二〇五条は、逮捕留置後の手続である検察官送致や勾留請求に必要な時間的範囲内で、強制収容を伴わない身柄拘束を認めたにすぎない。被疑者を施設に収容する逮捕留置は、逮捕行為としての自由の拘束以上の規律、拘束を伴うもので、憲法三四条の「抑留」には含まれず「拘禁」に含まれると解すべきであるから、理由開示の手続の保障もないまま警察の留置場に原告を収容することは、憲法三四条後段に違反する。

(二) 代用監獄による拘禁の違法性(被告国に対し)

憲法三三条、三四条が規定する令状主義は、身柄の拘束・拘禁の権限は裁判官のみにあり捜査機関にはないという徹底したものと解すべきで、これは、「市民的及び政治的権利に関する国際人権規約」(以下「国際人権B規約」という。)九条三項及び「あらゆる形態の抑留・拘禁下にあるすべての人を保護するための原則」(以下「国連被拘禁者保護準則」という。)第四に規定されている目的、すなわち被拘禁者が警察拘禁されている期間を制限することによって警察による不当な処遇又は圧力にさらされる危険を最小限にとどめることとも合致する。

したがって、警察署に付随する留置場を監獄に代用することを認めた監獄法一条三項は、憲法三三条、三四条及び国際人権B規約九条三項に違反する違憲無効な規定であるというべきで、原告を勾留すべき場所を横浜水上警察署代用監獄として勾留請求した検察官の行為は、国家賠償法一条一項の違法行為に該当する。

4  捜索、差押えの違法性(被告県に対し)

(一) 任意提出手続における任意性の欠如

被告県は、別紙二の任意提出一覧表記載の任意提出物について、Bや原告からの任意提出手続がどのような状況でなされ、それが真に任意になされたものであるかを具体的には主張立証しないところ、任意提出手続は、被疑事実との関連性が低く、捜索差押許可状を得られる見込みのない物や、捜査機関が得た捜索差押許可状の範囲に含まれない物を捜査機関の便宜のために敢えて押収するなど令状主義の規制を潜脱するために濫用されることが多いのであるから、任意提出が真に「任意」にされたか否かは、具体的かつ慎重に認定されなければならず、国家賠償請求訴訟においては、その立証責任は、その任意提出を適法と主張する被告県にあるというべきである。

本件捜査では、公安当局が、原告による「スパイ」行為なる何ら刑法犯の構成要件に該当しない事実に関する情報を探索的に獲得するために、可罰的違法性がなく処罰に値しない軽微な罪名で原告の身柄を拘束して自白を強要すると共に、右罪名を口実とした関係箇所への執拗な捜索と、関係者への恫喝的な事情聴取を行ったものと認められるのであるから、その過程において行われた右任意提出手続も、決して「任意」になされたものではなく、むしろ捜査官により事実上強制されたものである。

(二) 「本件」なき「別件捜索差押」

別紙三の差し押さえるべき物の一覧表のうち、

「一 4 メモ類、5 日記帳、6 ノート、8 封書、9 葉書、10 電報、11 テレックス、12 給料袋、13 給料明細書、17 預金通帳、18 旅券、21 電話番号帳、22 住所録、23 写真」

「二 22 電話番号帳、23 住所録、24 写真」

「三 25 名刺、26 ラジオ、27 アンテナ、28 キャッシュカード」

「四 29 書籍、30 パンフレット」と列挙されたものに照らせば、本件捜索が本件被疑事実に関する証拠を収集する目的でされたものではなく、原告が北朝鮮工作員と接触し、その指示に従って工作員として活動していたとの事実を明らかにするための情報を探索する目的でされたものであることが明白である。

憲法三五条一項の令状主義及びこれを受けた刑事訴訟法二一八条一項、二一九条一項の趣旨からすると、捜査機関が専ら別罪の証拠に利用する目的で差押許可状に明示された物を差し押さえることは、裁判官の審査を経ていない事実について捜索差押えを認める違憲な処分であって禁止されるべきであるから、このような「本件」なき「別件捜索差押」としてされた本件捜索差押はすべて違法である。

(三) 被疑事実との関連性、押収の必要性・特定性の欠如

(1) 別紙三の差し押さえるべき物の一覧表記載のうち、

「一 1 乙川名の印鑑、2 乙川春子名義の賃貸借契約書、3 賃貸借入居申込書、19 住民票の写し、20 戸籍謄本」

「二 19 住民異動届、20 住民票の写し、21 戸籍謄本」

については、被疑事実との関連性はあるものと認める。しかし、住民票の写し、住民異動届及び戸籍謄本については、そもそもこれらの原本である住民基本台帳及び戸籍を隠滅することが不可能である以上、押収の必要性はない。

(2) 別紙三差し押さえるべき物の一覧表記載のうち右(1)に記載したもの以外については、被疑事実との関連性はない。

(3) 別紙三差し押さえるべき物の一覧表記載のうち、

「一 4 メモ類、6 ノート、8 封書、9 葉書、10 電報、11 テレックス、14 各種請求書、15 領収書、16 受領書、23 写真」

「二 24 写真」

「三 25 名刺」

「四 29 書籍、30 パンフレット」については、これらの記載自体が特定性を欠いている。

(4) 右(1)ないし(3)の押収の必要性、被疑事実との関連性、押収物の特定性を欠く物の捜索差押については、神奈川県警の司法警察員による令状請求が違法であり、同許可状に基づく押収自体も違法である。

(四) 無令状捜索

神奈川県警の警部補野田征勝(以下「野田警部補」という。)は、昭和六三年五月二六日、無令状で原告宅押入右側下の段を捜索した。

5  1、2、4記載の各令状発布の違法性(被告国に対し)

本件被疑事実に係る一連の逮捕状請求、勾留請求、勾留延長請求、捜索差押許可状請求は、前記1、2、4のとおり違法な捜査をする目的でなされた違法不当なものであるから、これに対して担当裁判官が行った右各令状の発布及び勾留延長は、いずれも違法である。

また、勾留状の発布については、前記3のとおり、憲法及び国連人権B規約に違反する拘禁場所である代用監獄を勾留場所とする勾留状を発布したことも違法である。

なお、被告国が主張する違法限定説は、裁判官がした「争訟の裁判」について妥当するものである。すなわち、「争訟の裁判」については、その裁判に不服のある者はその手続内で是正を求めるべきであり、そのような手続を経て確定した裁判は終局的なものとして不可争性を帯びるという裁判制度自体に由来する制約があるからこそ、その裁判が国家賠償法一条一項によって違法となる場合を限定すべき理由があると考えられる。しかるに、裁判官による逮捕状や捜索差押許可状などの令状の発布の裁判は、右の「争訟の裁判」の場合とは本質的に異なり、右のような裁判制度の本質に由来する制限がなく、そもそも権利又は法律関係の存否の終局的確定を目的としない行政的性格を有する判断作用であり、仮にその手続内で不服申立をして取り消されたとしても、その間に生じた損害を放置することができないから、右の違法限定説の根拠は、裁判官による逮捕状や捜索差押許可状などの令状の発布の裁判については、全く妥当しない。

二  取調べの方法・態様(被告国及び被告県に対し)

1  代用監獄における身柄の拘束

原告は、昭和六三年五月二五日に逮捕された後、同年六月一五日に略式命令を受けて釈放されるまでの二二日間、代用監獄において身柄を拘束されたが、このような身柄の拘束は、一日二四時間中、警察の管理と支配下での生活を強制されるもので、処遇の劣悪さとあいまって、原告をして捜査官に対して物理的・心理的に依存せしめ、この間、原告が取調べに際して心理的に追い込まれる原因をなした。

2  取調べの場所

原告の取調室は、三畳ほどの狭い部屋であり、原告に対する直接の取調官が相対するほか、原則として原告の取調べを担当する他の警察官が原告を取り囲むようにして取調べがなされたものであり、極めて狭い部屋において原告を圧迫するような態様において取調べが実施された。

3  取調べの日数及び時間

原告は、前記逮捕日から釈放日の前日まで連日の取調べを受け、その取調時間は、午前九時くらいから午後一一時ないし午前零時に及ぶ過酷なものであった。

4  取調べにおける捜査官の言動

(一) 司法警察職員の取調べ方法

被告県の司法警察職員らは原告に対し、種々の心理的圧力をかけたが、主に警部補高松瑞男(以下「高松警部補」という。)及び巡査部長霧生保(以下「霧生巡査部長」という。)が脅し役を、野田警部補がなだめ役をそれぞれ分担して原告に供述を迫る取調べ手法が取られた。

具体的には、以下のとおりである。

(1) 逮捕後勾留まで

原告は、逮捕後、巡査部長白坂早見(以下「白坂巡査部長」という。)及び巡査部長三浦光秋(以下「三浦巡査部長」という。)の立会いの下、警部補湯原昭夫(以下「湯原警部補」という。)の取調べを受けた。

白坂巡査部長は、逮捕当日の夜中ころ、「家から大変な物が一杯出ているぞ。」「メモとか色々な物だ。」等と原告を脅しにかかった。原告は、翌日、体調を崩し風邪気味となったが、取調べは早朝から深夜まで続けられ、取調べの際には「おまえはおかしい。外国で何をしてきた。何か変な物が出てきたぞ。」などと脅された。

(2) 勾留後釈放まで

原告は、同年五月二八日以降、水上警察署において、高松警部補と霧生巡査部長が脅し役、野田警部補がなだめ役という取調べを受けた。

原告は、同月三〇日、湿疹が出たため警友病院で治療を受けたが、原告が体操服姿であったのに、婦警ではなく背広服姿の男性警察官の付添いで一般の外来患者の前を通らされたため、好奇の目に晒されて屈辱的であった。

原告は、同年六月一日、母親と面会したが、母は、捜査官に「娘を助けたかったら娘の前で泣きつけ。」と指示されていたため、この指示のとおり原告の前で号泣した。母の号泣に動揺した原告は、翌二日、北朝鮮工作員キム・ユー・チョルと共に写真に写っている女性は原告であるとの虚偽の自白をするに至った。

原告は、釈放日の前日、物哀しいカセットテープを聴かされながら、野田警部補の指示により野田警部補、高松警部補、霧生巡査部長及び横浜地方検察庁検事河野芳雄(以下「河野検事」という。)に対し、原告が「劉ことキム・ユー・チョル」との関係を切る約束をする内容の誓約書を書かされた。

(3) 司法警察職員は、原告に対し、別紙のとおり、①脅し、中傷、騙し、②罵声、③嫌がらせ、性暴力、④恩を売る、⑤泣き落とし、⑥母親を利用、⑦釈放の前日と当日の命令、⑧誓約書作成の要求等の言動を用いて原告を取り調べた。

(二) 検察官の取調べ方法

河野検事は、スパイ工作の違法性について確信的な信念を有しており、原告を何回も怒鳴ったり、机を叩いたりしながら取調べを行った。具体的には、以下のとおりである。

(1) 勾留請求日

原告は、昭和六三年五月二七日、河野検事から原告の顔が写っているという写真を見せられ、原告の顔写真であると認めろ、認めないとえらいことになるぞと脅された。原告が否定すると、「おまえのいうことは信じられるか、嘘だ。」と原告を威迫した。

(2) キム・ユー・チョルの写真面割りにおける誘導

原告は、河野検事からキム・ユー・チョルの写真が含まれているとして一〇枚ほどの写真を二回見せられたが、その二回目には、入れ忘れたことを原告に告げたうえで一回目に示された写真には含まれていなかった写真が加えられており、その余の写真は一回目の写真と同じ写真であったので、入れ忘れられた写真が河野検事の希望する写真であると分かって、それをキム・ユー・チョルの写真であると供述した。

河野検事による写真面割りにおける右のような誘導的な取調方法は、この場合に限らず、同人の原告に対する取調べのすべてにおいて行われた。

(3) 原告と母親との面会の設定

前記のとおり、原告は、同年六月一日、母親と面会したが、原告の勾留には接見禁止処分が付され、弁護士との面会も一回につき一五分ないし二〇分と制限されていたにもかかわらず、母親との面会は、河野検事が認めている内容においても、合計三回、時間が合計一時間四〇分にも及ぶものであり、その場所も取調室前の会議室という比較的自由な場所であった。

右面会は、その実態からして利益誘導的なものであり、捜査官の原告の母親に対する「娘を助けたかったら、娘に泣きつけ。」という指示からは、捜査官が原告と母親との面会を設定して原告の自白をとろうとした意図が伺われ、親子の情愛を利用した違法不当な取調べ手法である。

(4) 河野検事は、原告に対し、別紙のとおり、①脅し、中傷、騙し、②罵声、③嫌がらせ、性暴力、④恩を売る、⑤泣き落とし、⑥母親を利用等の言動を用いて原告を取り調べた。

5  書簡及び釈放後の尾行

原告は、前記のとおり、釈放日の前日に野田警部補、高松警部補、霧生巡査部長、及び河野検事宛に誓約書となる書簡を書いたが、これは、原告に対し劉との関係を切る旨の約束をさせることにより、釈放後の原告の身柄を警察の保護ないし管理下に置く意図があったものと考えられる。

そして、原告は、釈放直後から昭和六三年八月一日に原告が検察庁に呼び出されて旅券返納命令を受けたころまで、原告の行く先々で公然たる尾行を受け、その間には原告と野田警部補及び霧生巡査部長との接触があった。しかし、原告は、公正証書原本不実記載・同行使については既に略式命令を受けたことにより処分が終わっているのであるから、原告釈放後の尾行は、被告らが本件捜査の目的としていた北朝鮮工作員との接触等についての捜査を継続していたとしか考えられず、その捜査の違法性は明らかである。

なお、右誓約書の中に、原告が取調担当官の扱いに礼を述べている部分があるとしても、お礼をすることは指示された内容であるうえ、原告は、取調期間中、代用監獄に身柄を拘束され毎日深夜にわたる取調べを受けて全生活を捜査官に支配され、捜査官に対して心理的・物理的に依存する状態にあったものであり、決して原告の自発性に基づき礼をしたものではない。

6  以上のとおり、原告は、代用監獄に身柄拘束され、狭い取調室で捜査官に囲まれて、連日深夜に至るまで北朝鮮工作員との接触等について過酷な取調べを受け、その際、種々の脅し、中傷、押しつけ、罵声、その反面としての母親の情の不当な利用や利益誘導などを受けたもので、これにより、原告は、捜査官の期待する答えを予想して供述するようになり、北朝鮮工作員キム・ユー・チョルと共に写っている女性は原告であること、右キム・ユー・チョルから観光地の写真、公園の写真、防衛白書等の書籍、地図及びホテルのパンフレット等の収集並びに人の調査、キャッシュカードの作成、電話連絡等の依頼を受けて、その報酬としてお金を貰ってスパイ活動をしていた旨の虚偽の自白をさせられた。

このような捜査官の取調べの方法及び態様は、全体として違法なものである。

三  神奈川県警による報道機関に対する情報提供(被告県に対し)

1  情報提供の月日、場所、情報提供者、相手方、情報の要旨、情報提供方法は、別紙「新聞記事一覧表」記載のとおりである。

2  司法警察職員は、捜査上、被疑者その他の者の名誉を害しないように注意すべき義務を負う(刑事訴訟法一九六条)とともに、職務上知りえた秘密を漏らしてはならない義務を負っているのであるから(地方公務員法三四条、国家公務員法一〇〇条)、司法警察職員において嫌疑をかけているにすぎない者について、その嫌疑やその者のプライバシーに関する情報を提供し、その名誉やプライバシーの権利を侵害したときは、右の情報提供行為は、国家賠償責任を発生させる不法行為となるというべきである。

別紙「新聞記事一覧表」記載の原告に関する本件各新聞記事は、神奈川県警の司法警察職員が、原告の取調べ状況や原告と北朝鮮工作員との接触等に関する情報を提供して作成されたものであるが、原告と北朝鮮工作員との接触等は、そもそも現行法上罪にならないものであり、原告にはその嫌疑すらなかったものであって、神奈川県警の司法警察職員は、右情報提供により原告の名誉とプライバシーが侵害されることを認識し、又は認識可能であったのにそれを認識せずに、右情報提供をおこない、これが各新聞社を通じて報道されることにより、原告は、北朝鮮工作員と接触して工作員として情報収集活動をしていたとの疑いを一般人に抱かれて、その名誉とプライバシーを侵害されたうえ、その経営するAを手放さざるをえなくなり、当時の住居地である横須賀市に居住することもできなくなるなど多大な財産的、精神的損害を被った。

3  名誉毀損的表現につき真実であるか又は真実であると信じるにつき相当な理由があるときは、名誉毀損による不法行為責任は成立しないという法理(いわゆる真実性・相当性の理論)は、名誉と表現の自由が衝突する場合の調整原理として考えられたものであるが、ここで、憲法が保障する表現の自由との関係で名誉毀損が問題となるのは、国民の人の名誉を毀損する表現に民事責任を負わせることが、国民の憲法上の権利である表現の自由の制限となるからである。

しかるに、情報提供者が公務員である場合には、国家自体は、憲法上の表現の自由を有していないし、公務員は公務員として行動している限り、国家自体と同様に、憲法的権利としての表現の自由を行使することはありえないのであって、国や公務員に民事責任を負わせても、これは私人による名誉毀損的表現における表現の自由の制限の問題は生じず、次元の異なる問題である。

したがって、公務員による情報提供責任の問題については、真実性・相当性の理論は適用されないと解すべきであり、むしろ、国家ないし地方公共団体が個人の名誉を毀損するような情報提供をすること自体が、国民の憲法的権利の侵害であって許されない。

よって、神奈川県警の司法警察職員による右各情報機関に対する情報提供行為は、国家賠償責任を生じさせる不法行為となる。

四  損害

1  財産的損害

二〇〇八万五九二三円

原告が経営するAは、その開店と運営に協力していた原告の友人及び知人並びに顧客が取調べを受けるなどしたこと、別紙「新聞記事一覧表」記載の新聞報道により、原告が「北朝鮮の工作員」と接触していた「女スパイ」であると一般人に認識されるに至ったこと、原告自身が別件逮捕勾留等の違法な捜査を受けたことなどにより、閉鎖に追い込まれた。

本件事件がなければ、原告は少なくとも五年間はAの経営者として利益を得ることができたものである。

Aが開店した昭和六二年一二月二日から原告が身柄を拘束される前月の同六三年四月末日までのその売上総額は、六三九万二一一〇円であり、一か月平均の売上額一二七万八四二二円から仕入額、従業員の人件費、家賃、光熱費その他の諸経費を控除した純利益は売上額の三〇パーセントが妥当であるから、その額は三八万三五二七円である。

したがって、中間利益を控除した五年間の利益は、二〇〇八万五九二三円(38万3527円×12×4.3643(新ホフマン係数))となる。

2  慰謝料 五〇〇万円

原告は、自らに対する違法な逮捕、勾留、取調べ及び捜索差押えによって、また、原告の肉親、友人及び知人らに対する取調べ、捜索差押えによって多大な精神的苦痛を被った。また、神奈川県警の司法警察職員らが原告に関する情報を報道機関に提供して、これが報道されたことにより、原告は北朝鮮工作員と接触して工作員として情報収集活動をしていた「女スパイ」であるとの疑いを一般人に抱かれるようになって、その名誉とプライバシーを侵害されたうえ、その経営するAを手放さざるをえなくなり、住所地である横須賀市に居住することもできなくなって、非常な精神的苦痛を被った。

右精神的苦痛に対する慰謝料は少なくとも金五〇〇万円が相当である。

3  弁護士費用 五〇〇万円

原告代理人らに対する報酬は金五〇〇万円が相当である。

第四  被告らの主張

一  逮捕・勾留・捜索差押え等

1  逮捕状の請求及び執行について(被告県)

(一) 捜査の端緒

神奈川県警所属警察官は、昭和六三年一月二一日夜、「横須賀中央の米が浜通りで「A」という店をやっている乙川という女は、いくつもの名前を持っている。店には外人か出入りし、大韓航空機爆破事件と関係があるのではないか。その女は、他人の名前でアパートに入っている。」旨の匿名電話を受け、同県警外事課内において内偵捜査を開始した。

(二) 内偵捜査により判明した事実

(1) 匿名電話による「A」は、原告が昭和六二年一一月二〇日付けで、神奈川県公安委員会に営業開始届出書を提出し、横須賀市〈番地略〉に所在するAであると認められ、該当する店舗が存在した。

ところが、Aの営業開始届出書に記載された原告の住所地である横須賀市〈番地略〉に、原告が居住している事実はなく、また、右届出書に記載された電話番号については、その加入者の名義は乙川春子となっており、かつ、設置場所は右の住所地ではなく、当初は同市〈番地略〉となっていたものの、同月二六日付けでAの所在する××ビルに移転し、電話番号も改番となっていた。

(2) 原告は、昭和六〇年六月ころから同六二年一〇月下旬ころまでの間、横須賀市〈番地略〉所在の××郵便局二階のアパート(六畳間)に乙川春子という偽名で単身居住していたものの、職業は不明であり、時々乙川春子宛の国際郵便が配達され、その後、居住の始期は不明であるが、同市〈番地略〉所在の××ビル六〇二号室に、単身で居住しており、右居室の郵便受には「松本(コウノ)」と表示し、依然として偽名を名乗っていた。

原告は、昭和六〇年五月二九日、××郵便局二階のアパートを賃借するため、同市内の不動産業者の事務所で、自己の氏名を乙川春子、住所を同市湘南鷹取四丁目二六番六号と偽ったほか、虚構の生年月日、本籍地、勤務先を申し向け、かつ、架空の連帯保証人(乙川一夫)を作出して、虚偽の賃貸借契約書を作成し、これを右不動産業者に提出した。

さらに、原告は、住所について、横須賀市長に対し、昭和六一年一一月一〇日付けで、兵庫県西宮市内から横須賀市〈番地略〉に転入した旨の架空の転入届を提出し、次いで、同六二年八月一六日付けで、同市〈番地略〉に転居した旨の虚偽の転居届を提出し、その後、同六三年一月六日付けで、前記××ビル六〇二号室に転居した旨の転居届を提出した。

(3) 原告は、昭和五二年二月八日から同六一年一二月一六日までの間、三回にわたり、数次旅券の発行を受け、特に第三回目の旅券については、住所として、横須賀市〈番地略〉、国内連絡先として、義兄C(同市〈番地略〉)、訪問先として、韓国と記載されているところ、原告の住所として記載された場所は、前記の架空転入届の住所地であり、しかも、架空転入は、右旅券発給のわずか一か月前に行われたものであること、右Cは原告の義兄ではないこと及び右Cは、同市〈番地略〉に居住しているものではなく、一時、同所を書籍販売業の事務所として使用していたに過ぎなかった。

(4) 原告は、昭和五二年二月二四日から同六二年一〇月一二日までの間、七回にわたり出入国を繰り返し、その間、ソウル、カラチ、シンガポール、バンコク、香港等に出入りしており、特に、三回目の渡航からわずか三日後に、前記のとおり、住所は西宮市に届出たまま、偽名で××郵便局二階のアパートを賃借し、いわば右アパートに潜伏した状況で四回目以降の渡航を繰り返していた。

さらに、原告は、昭和五七年二月六日、ユーゴスラビア在朝鮮民主主義人民共和国総領事館副領事であるキム・ユー・チョルと共に、コペンハーゲンから東ベルリンを経由してモスクワに赴き、翌五八年六月二五日、同人と夫婦を装って、コペンハーゲンからベオグラードに赴いた事実が存在するとともに、同人は北朝鮮諜報機関の連絡部長であって、原告の他にも、海外渡航中の日本人女性との接触を有し、加えて、原告は、よど号ハイジャック事件の海外逃走中の被疑者との接触を有している疑いも存在した。

(三) 被疑事実の存在

(1) 右内偵の結果、原告が次の被疑事実を犯したことを疑うに足りる相当な理由が認められた。

第二の二の2記載の有印私文書偽造・同行使の被疑事実及び公正証書原本不実記載・同行使の被疑事実

(2) さらに、原告が、昭和六一年一二月一五日、第三回目の数次旅券の発給を申請し、同月一六日、その発給を受けた際、前記(二)(3)のとおり、関係書類に、自己の住所及びCとの関係等に関する虚偽の記載を行った事実について、旅券法二三条一項一号に該当する疑いも認められた。

(四) 逮捕の理由及び必要性

(1) 原告が、逮捕事実を実行した点については原告も認めており、逮捕の理由が存在することは明らかである。

(2) 原告の逮捕事実は、住民登録した住所地以外のアパートに偽名で潜伏する手段として実行され、しかも、原告は、Aの開業に当たり、多額の資金を必要としたはずのところ、それ以前には原告は定職を有してなかったのであるから、何者かが、原告に相当の資金援助をしているといわざるを得ないことも明らかであった。

そのうえ、原告は、海外渡航中には、北朝鮮諜報機関の幹部と親密な関係を有し、これと行動を共にしていたほか、よど号ハイジャック事件の海外逃亡中の被疑者とも接触した疑いが存在するのであって、これらの事情を併せて考慮すると、本件被疑事実は、北朝鮮諜報機関の幹部と接触し、その活動に協力するために、計画的に敢行されたものであって、共犯者、協力者ないし支援者等の組織的な背後関係が存在し、キム・ユー・チョルをはじめとする同国諜報機関に関連する人物が関与している疑いがあると認められた。

(3) このように、本件逮捕事実については、その動機ないし目的、計画性、組織性及び背後関係を解明する必要があるところ、原告を、在宅のままで取り調べるときは、原告の生活状況及び境遇、事案の内容及び性格に照らすと、原告が、協力者ないし支援者等と通謀し、これらの者と口裏を合わせるなどの方法により、罪証を隠滅することは明らかであり、また、その動機ないし目的、計画性、組織性ないし背後関係等を示す証拠物の廃棄又は隠匿を行うおそれが極めて強かった。

さらに、原告は、兵庫県西宮市内の実家を飛び出した後の住所が明確でないうえ、アパートに単身で居住しているものであって、住居の安定性が極めて乏しいのみならず、日常生活においても、偽名を使用するとともに、架空の住民異動届を行っていたものであり、逃亡のおそれが明らかに存在した。しかも、原告は七回もの海外渡航歴を有するとともに、有効な数次旅券を保持し、海外逃亡も可能な状態にあり、実際にも、北朝鮮諜報機関の幹部とも海外で行動を共にしていたものであるから、海外逃亡のおそれも認められた。加えて、本件逮捕事実に関する前記の動機ないし目的、計画性及び背後関係等を併せて考慮すると、原告は、捜査機関の動向を察知するならば、逃亡するおそれが極めて強かった。

以上のとおり、本件逮捕事実については、逮捕の理由が存在するとともに、罪証隠滅及び逃亡のおそれが極めて強く認められ、逮捕の必要性が明らかに存在したことから、神奈川県警の司法警察員は、横浜簡易裁判所裁判官に対し、原告の逮捕状の発布を請求し、担当裁判官から逮捕状の発布を得たうえ、これを執行して原告を逮捕したものであり、かかる一連の手続に何ら違法はない。

2  勾留請求・勾留延長請求について(被告国)

(一) 弁解録取状況、送致記録及び押収物から判明した事実

(1) 昭和六三年五月二七日、原告に係る本件被疑事件が送致されて、河野検事による弁解録取手続が行われたが、原告は、各被疑事実の概略は認めたものの、本件犯行の動機として、「別人として行動したかった」などと不自然な供述をし、また、本件犯行期間中の渡航状況について、モスクワ等に旅行したことはないなどと客観的事実と矛盾する虚偽の供述をするばかりか、渡航目的も観光旅行であったなどとあいまいな供述をし、その渡航費用について、ヨーロッパ人から援助を受けた旨供述するものの、その具体的内容については黙秘した。

(2) 送致記録からは、原告が、北朝鮮労働党連絡部所属のキム・ユー・チョルと二人で東ベルリン経由でモスクワ又はベオグラードに向け出国したことが確認された。

(3) 原告の自宅を捜索した結果、北朝鮮労働党の唯一思想である「主体思想」(チュチュ思想)を学習してまとめたメモ、いわゆるよど号ハイジャック事件の犯人の一人である柴田泰弘から押収された手帳に記載されていたものと同じ高校生二名の氏名等及び各種の暗号用の数字(後の捜査の結果、右柴田らの誕生日等をキャッシュカードの暗証番号にしたものであることが判明したもの等)が記載された手帳、新札の一〇〇ドル紙幣一〇〇枚の束並びに一四二名の氏名、住所及び趣味等が記載されている青色手帳等が押収された。

(二) 勾留の理由及び必要性

(1) (一)の事実を総合すると、原告は、日本国内において北朝鮮工作員として活動し、あるいは北朝鮮工作員に指示されてその支援活動をする準備として本件各犯行に及んだ疑いが濃厚であった。

そして、本件各被疑事実に記載されたとおり、原告が、自己の本名を秘匿し「乙川春子」という偽名を使用して貸室の賃貸借契約を締結し、さらにパスポートを取得するために自己の住所を異動させて虚偽の住所の届けをなすなどした行為は、外国においてキム・ユー・チョルと接触し、同人とともに行動していた行為と密接に関連しているものと思われ、本件各被疑事実の動機及び各犯行に至るまでの経緯等を究明する必要があるとともに、各証拠物の分析、参考人の取調べが必要であり、その捜査が終了しなければ適切な処分ができず、被疑者を勾留して取調べを継続する必要性は十分に認められた。

(2) また、前記のようなあいまいかつ不自然な原告の供述内容を前提とすれば、もし原告を勾留せずに釈放した場合には、有印私文書偽造・同行使について、その行使先である小林秀子に働きかけるなどして、「乙川春子」の偽名を原告が記載したことを否定したり、あるいは、右小林をして同女の同意を得たなどと申し立てさせるなどし、また、公正証書原本不実記載・同行使について、その住居と記載した場所に事務所を開設しているCらに働きかけるなどして、原告の居住性ないし居住の意思を肯定せしめたり、あるいは原告の住所の異動届について、原告の関与を否定せしめたりし、また、前記のような工作活動あるいはその支援活動に関係する疑いが濃厚な押収済の一万ドルについて、その所有権を否定し、入手先をあいまいなものにしたり、あるいは、キャッシュカード及びその暗証番号と工作活動との関連性を否定するなどするおそれが十分に存在し、原告には罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由が存在した。

さらに、原告は、高校を卒業した後、間もなく家出し、海外で極めて不鮮明な行動を継続し、その間、家族とも交渉を断っていたものであるうえ、本件被疑事実が海外にいる者との関連を有しているという特殊性をも考慮すれば、本件において、原告が逃亡すると疑うに足りる相当の理由があった。

河野検事は、このような勾留の理由及びその必要性の下に、前同日、横浜地方裁判所裁判官に対し、本件勾留事実につき原告の勾留(接見禁止付)を請求し、担当裁判官から勾留状の発布を得たうえ、これを執行して原告を勾留したものであり、かかる一連の手続に何ら違法はない。

(三) 勾留延長請求について

本件勾留事実は、関係者が極めて多数に及ぶほか、解明を要する事実関係が海外にまたがるという特殊事情もあるため、一〇日間では捜査を完了することができなかったことから、河野検事は、横浜地方裁判所裁判官に対し、一〇日間の勾留延長を請求し、担当裁判官は右請求を認めたので、原告を同期間勾留したものであり、かかる一連の手続に何ら違法はない。

なお、犯行の動機、目的、背後関係等に関する事実がそれ自体で独立の犯罪を構成しなければ、これらの事実を捜査の対象とすることは違法に帰するとの見解は、右事実が犯罪構成要件該当事実すなわち罪体と密接に関係し、事件処理及び量刑決定上極めて重要な事実であるという刑事司法における当然の事理を忘れ、検察官の権限に関する法令を等閑に付した全く独自の見解であるといわざるを得ない。また、本件勾留事実のうち有印私文書偽造・同行使の法定刑は、三月以上五年以下の懲役であり、公正証書原本不実記載・同行使の法定刑は、五年以下の懲役又は二〇万円以下の罰金であって、法定刑からしても、本件は決して軽微な事件であると判断することはできず、かかる事案について強制捜査の対象となり公判請求されて懲役刑が言い渡された事案は数多くある。

3  逮捕留置及び代用監獄への身柄収容について

(一) 逮捕留置(被告県)

司法警察員は、被疑者を逮捕したとき、又は逮捕された被疑者を受け取ったときは、所定の弁解の機会を与えた後、留置の必要性があるかぎり、身体拘束の時から四八時間以内は被疑者を留置することができるのであり(刑事訴訟法二〇三条一項、同法二一一条及び二一六条)、これだけの時間ともなれば、必然的に施設収容を伴わざるを得ない。

さらに、憲法三四条所定の「抑留」及び「拘禁」については、一般に、「抑留」は身体の一時的拘束を指し、「拘禁」は比較的継続的な拘束を指すと解されており、それを前提として、刑事訴訟法も、逮捕及び勾引に伴う留置等は「抑留」に該当し、勾留及び鑑定留置等は「拘禁」に該当するものとし、後者について、理由開示の手続を定めているのである(同法八二条―八六条及び一六七条五項)。また、警察署の留置場は、監獄法の施行以前から、被逮捕者の収容施設として利用されてきた実績を有し、現行刑事訴訟法も、これを前提として、逮捕被疑者を監獄にも留置しうる旨を規定しているのであるから(同法二〇九条、二一一条及び二一六条による七五条の準用)、司法警察員が被疑者を逮捕した場合の留置先は警察署の留置場とするのが本則である。そうであるから、被疑者留置規則(昭和三二年八月二二日国家公安委員会規則四号)も、被疑者の留置は留置場を使用してこれを行うものとし、実務もそのように運営されているのであって、神奈川県警の司法警察員が原告を水上警察署に留置したことは違法ではない。

(二) 代用監獄(被告国)

憲法三三条、三四条は、令状主義について規定したものではあるが、被疑者の勾留場所については何ら規定していないのみならず、そもそも令状主義が強制捜査権の行使を司法審査の下に置こうとする趣旨のものであることに照らせば、令状主義自体と司法審査に当たる裁判官が被疑者の勾留場所をどこに決定するかとは直接には関係のないことであり、憲法は、被疑者の勾留場所をどのような施設とすべきかについては立法裁量に委ねたものと解されるのであって、代用監獄制度を規定した監獄法一条三項は合憲である。

また、国際人権B規約九条三項は、逮捕した身柄について、「裁判官又は司法権を行使することが法律によって認められている他の官憲の面前に速やかに連れて行かれるものとし」とは規定しているものの、裁判官の面前に連行されて司法審査を経た後の身柄の拘禁場所については何ら触れていないのであって、監獄法一条三項が同規約に違反するものとはいえない。

さらに、そもそも検察官が勾留請求書に被疑者を勾留すべき場所を記載するのは、検察官の意見表明であって、裁判官の判断を拘束するものではないから、かかる意見表明をもって違法原因に取り上げること自体が失当である。

なお、河野検事は、横浜拘置所が遠距離にあったこと、証拠物が多数あって、拘置所では証拠物の提示等に支障を来すことが予想されたこと、場合によっては、引き当たり捜査や面通しが予想されたが、拘置所では設備的にこれが不可能であったことなど、拘置所を勾留場所とすると捜査遂行上支障が認められ、これに対し、横浜水上警察署は、徒歩数分という近距離であり、証拠物の提示、引き当たり捜査や面通し等にも支障がなく、また、同署の庁舎は、新築後間もなく留置場の設備も整っており、かつ、雰囲気も明るく、良好な拘置環境にあったこと等の事情が認められたことから、右の意見表明をしたもので、右意見の内容自体も相当である。

4  捜索差押えについて(被告県)

(一) 任意提出物

押収品目録交付書に記載された証拠物のうち、別紙二任意提出一覧表の押収品目録交付書欄記載の証拠物は、同表記載の日及び場所において、同表記載の提出者よりそれぞれ任意提出を受けたものである。

(二) 捜索差押えの必要性

司法警察職員は、犯罪の捜査をするについて必要があるときは、裁判官の発する令状により捜索差押えを行うことができるのであり(刑事訴訟法二一八条一項)、差押えは、司法警察職員が証拠物と思料するものについて行われる以上、適法というべきであって(同法二二二条一項、九九条一項)、明らかに差押えの必要がないと認められるときに限り、違法となるに過ぎない。

このことからすれば、司法警察職員が、捜索差押えの時までに現実に収集し得た捜査資料を前提として合理的に判断し、捜索差押えの必要があり、証拠物と思料するものが存在する蓋然的状況が認められる限り、捜索差押えは許容されるのであって、事後的、結果的に、押収すべき証拠物が存在しなかったとしても、あるいは、押収した証拠物と思料するものが当該被疑事実と関連性のないことが判明したとしても、それによって直ちに捜索差押えが違法となるものではない。

(1) 捜索差押許可状の請求について

原告の逮捕状の請求と同時に行った本件各捜索差押許可状の請求は、①原告の自宅及びAについては、原告が直接支配している場所であり証拠物が存在するものと、②原告の実家については、本件被疑事実が組織的背景を有するものと思料され、原告は、第一回目の旅券発給時に実母を連絡先としているほか、原告と実家の家族とは相互に交流があることから、自宅で保管できない証拠を実家に保管しているおそれがあるものと、③Cの自宅については、原告が、右Cの事務所所在地に転入した旨の架空の転入届を提出したうえ、第三回目の旅券発給時に、同人の事務所を連絡先とし、かつ、同人が原告の義兄であると偽っていたことから、証拠物が存在するものと、④Bの自宅については、同人がAに頻繁に出入りし、原告と半同棲状態にあったので、証拠物が存在するものと、それぞれ思料されたため、神奈川県警所属の司法警察員は、各捜索差押許可状の発布を担当裁判官に請求し、その発布を受けたものである。

原告の逮捕後において行った原告の自宅及びA並びにD、E、国際電信電話株式会社及びFの各自宅ないし事務所に関する各捜索差押許可状の請求は、原告ないし参考人の取調べの進展、関係箇所の捜索差押え等により、それぞれの場所に証拠物が存在するものと思料されたため、神奈川県警所属の司法警察員は、各捜索差押許可状の発布を担当裁判官に請求し、その発布を受けたものである。

これらの諸事情に加え、本件被疑事実の内容及び態様、背景等に照らすならば、右捜索差押許可状が発布された場合の捜索差押えについては、犯罪の捜査上、その必要性が明らかに認められ、かつ、証拠物が存在する蓋然性も高度に認められるものであるうえ、本件捜査当時、原告を含めた被捜索差押人から、準抗告が申立てられた事実も全くなかったものであり、各捜索差押許可状の請求はいずれも適法である。

(2) 押収物と被疑事実の関連性及び押収の必要性

原告提出の押収品目録交付書のうち、別紙二の任意提出一覧表の押収品目録交付書欄記載以外の押収品目録交付書に記載された証拠物は、捜索差押えによって押収されたものであるが、右捜索差押えにおいて、差し押さえるべき物は、別紙三の差し押さえるべき物の一覧表に記載したとおりであり、また、押収物と差し押さえるべき物との関係は、別紙一の押収物一覧表中の差し押さえるべき物の項目欄に、別紙三の差し押さえるべき物の一覧表記載の項目番号で表示したとおりである。

これらの押収物は、証拠物が存在する蓋然性が高度に認められる場所に対し、適法な捜索差押許可状の発布を得て、これを執行することにより得たもので、本件各被疑事実及びその動機、目的、計画性、組織性、共犯又は背後関係、その他の犯情を明らかにするために必要な資料と認められ、各司法警察員が証拠物と思料するものに該当すると判断したため、これを押収したのであって、本件捜査当時、原告を含め、被捜索差押人が準抗告を申し立てた事実も全くない。

なお、押収物と被疑事実との関連性あるいは証拠価値の有無ないし大小については、捜査及び裁判の進展によって変化を伴い、捜査の初期段階でこれを厳格に要求することは問題があり、ましてや、捜索差押えの現場で、ごく短時間にこれを正確に判断することは極めて困難であるから、仮に、事後的結果的に、押収した証拠物と思料するものが当該被疑事実と関連性のないことが判明したとしても、それによって直ちに捜索差押が違法となるものではない。

(三) 無令状捜索

野田警部補は、昭和六三年五月二六日、原告から、下着や洗面用具の差し入れをするようBに伝言して欲しいと頼まれ、これをBに伝えたところ、同人から、休暇が取れないので、原告宅まで取りに来て欲しい旨の希望があったので、同日正午ころ原告宅前で待ち合わせ、Bの案内で原告宅に入り、Bが取り出した品物を受領して帰ったもので、その間、野田警部補が原告方押入れを漁った事実はない。

5  1、2、4記載の各令状発布(被告国)

(一) 裁判官の行った裁判である令状発布等の職務行為について国家賠償法一条一項にいう違法があるというためには、裁判官が、違法又は不当な目的をもって裁判したなどその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情の存在を必要とすると解されるところ(違法限定説)、右特別の事情を主張することなく、裁判官の行った令状発布等の違法をいう原告の請求は、主張自体において失当である。

(二) 代用監獄を勾留場所として勾留状を発布したことについては、前記のとおり、代用監獄制度は何ら違憲違法ではないばかりか、具体的事案において被疑者の身柄の勾留場所をどこにするかは、刑事訴訟法上は勾留担当裁判官に付与された裁量に係る権限の行使にほかならないのであるから、前記の違法限定説の法理が妥当するところ、原告はいわゆる特別の事情を何ら主張していないのであって、主張自体において失当である。

二  取調方法及び態様

1  取調時間及び取調中の配慮

(一) 取調時間については、別紙「警察における原告の取調時間一覧表」及び「検察における原告の取調時間一覧表」各記載のとおり、司法警察員と検察官の取調べを合計しても、一日一〇時間を超えたことはなく、これらの取調時間には、休憩時間や護送のための待ち時間も含まれているから、実質的な取調時間はさらに右を下回るもので、逮捕勾留中の被疑者に対する取調べとして、その時間が特に長すぎるとはいえない。

(二) 原告の取調べを担当した司法警察員は、取調べに先立って、原告に対し、健康状態等を尋ね、取調べに耐えうることを確認した後、取調べに入っており、取調べに入ってからも、原告の生理が始まったことを考慮し午後の取調べを中止したり、あるいは、顔面に湿疹が出ていたことを考慮して警友病院に連れて行き治療を受けさせることもあったうえ、原告が気落ちしていると見受けられるや、早めに取調べを打ち切るなどの措置を取っており、適切な配慮をしていた。

また、同司法警察員は、取調べを開始するときには、その都度、原告に対し、供述拒否権があること告げており、また、供述調書を作成したときは、原告に対しその内容を正確に読み聞かせ、訂正等の申立てがあったときは、その趣旨にしたがった措置を取っている。

なお、留置場から取調室まで食事を出前する取扱は行われておらず、原告が食事を取るときは、必ず留置場に戻していた。

2  原告と母親との面会

原告は、母親との面会の翌日の取調べにおいて、写真に写っている女性が原告であることを認めるとともに、それまでは、海外旅行中に多額の金員を提供してくれた人物について、フランスにいるヨーロッパ系の外国人男性としていたのを、貿易商を営む華僑の劉であると供述して、同人と知り合った経緯等に関する具体的供述を始めたが、その翌日の取調べはもとより、それ以降の取調べにおいても、供述を拒否したり、虚偽の内容を折り込むなどしながら、取調べに臨んでいた。

3  捜査員に対する感謝の手紙

原告の手紙は、宛名人毎に、それぞれの行動に則して、極めて丁重に感謝の気持ちを吐露したうえ、再出発の決意を語り、今後も相談に乗って欲しいとの内容で、かつ、指印の位置も、野田警部補がその作成を指示したなら、手紙自体に指印を求めるはずであるところ、原告は封筒裏面の封緘部分に朱指印を押しているものである。

4  警察官の言動の具体的な内容

原告のあげている項目の多くは、行為者、日時、具体的状況ないし方法、経過及び結果並びに原告の供述内容との関連性が不明であり、かつ、原告が作成した取調状況に関するメモにも右項目のほとんどが記載されておらず、不自然、不合理である。

5  検察官の言動の具体的内容

原告のあげている①のうち、河野検事が原告に対し、キムに利用されているといったこと、この機会に関係を切ってもう一度やり直しなさいといったこと、私の仕事は君を助けてあげられることですといったこと、大韓航空機事件について質問したこと、同②のうち、河野検事が原告に対し、他人に迷惑を掛けてはいけない、うそをつかないで本当のことを言いなさいという趣旨のことをいったこと、話をするときは目を見て話なさいといったこと、同③のうち、河野検事が原告に男性との肉体関係の有無について質問したこと、同⑥のうち、河野検事が原告に対し、原告の母が心配の余り寝込んだ旨及び母に心配をかけないようにすべきである旨話したこと、同⑦のうち、原告が、釈放が分かったときに検事や警察官の手を握りながらうれし涙を流して感謝したことは、いずれもそのとおりである。

しかし、被疑者である原告を取調べるに際し、河野検事が右のような言辞に及んだとしても、これをもって違法な取調べであるとは認められない事柄であるし、河野検事からこのような言辞を用いた取調べを受けたことが原因で、原告が畏怖・屈辱・諦念等の精神状態に追い込まれたとする因果関係は認められない。

なお、検察官の言動の具体的内容の①のうち、検事は、原告の韓国への渡航歴の有無を聞いたのではなく、北朝鮮への渡航歴の有無を聞いたものであり、同③のうち、堕胎経験の有無については、原告が検察官に対し任意に供述したものである。

6  釈放後における尾行の有無原告は、釈放後、野田警部補に対し、不動産会社への同行を依頼したり、霧生巡査部長に対し、帰宅のため、京浜急行電鉄線横須賀中央駅までの見送りを依頼していたものであり、尾行は行われていなかった。

三  報道機関に対する情報提供について(被告県)

1  神奈川県警は、前記争いのない事実以外については、報道各社の取材に対し、ノーコメントで対応した。

2  神奈川県警が報道各社の記者に対して行った説明の内容は、未だ公訴の提起されていない原告の犯罪行為及びその情状に関するものであるから、公共の利害に関する内容である。また、本件捜査当時、大韓航空機爆破事件の発生など、北朝鮮諜報機関の工作員が関与したと思われる事件が報道されると共に、よど号ハイジャック事件の犯人が新たに検挙されるなどの情勢下にあったうえ、ソウルオリンピックの開催を控えていたことから、原告の犯罪行為については、その動機ないし目的、計画性、組織性、背後関係に対する社会的関心が強く、報道各社の記者による取材が極めて厳しいものであり、報道の自由及び国民の知る権利を尊重する必要があるため、神奈川県警は、原告の名誉及びプライバシーの保護にも配慮し、限られた一定の範囲で、説明を行ったに過ぎないものであるから、その目的は、専ら公益を図る目的に出たことが明らかである。

そして、その内容も真実であり、少なくとも、真実と信じるについて相当の理由があった。

したがって、仮に、右説明によって原告の名誉ないしプライバシーが侵害されたとしても、右説明は原告に対する不法行為を構成しない。

第五  争点

一  本件逮捕及び勾留請求が違法なものであったかどうか。

二  本件捜索・差押えが違法なものであったかどうか。

三  本件各令状の発布は違法なものであったかどうか。

四  原告に対する取調べの方法、態様が違法なものであったどうか。

五  神奈川県警の警察官が、報道機関に対し、違法な情報提供をしたかどうか。

六  原告の損害の発生の有無及び損害額

第六  争点に対する判断

一  争点一について

1 被疑者に対する逮捕又は勾留請求の適法性を判断するに際しては、捜査官が逮捕状請求時又は勾留請求時にそれぞれ収集した資料及び収集し得た資料に基づいて逮捕、勾留の必要性、相当性が認められると判断したことが客観的に合理的であると認められる限り、原則として、適法であると解するのが相当であり、本件逮捕及び勾留請求が国家賠償上適法であったか否かについては、この観点から検討する必要がある。

2(一)  証拠(甲六ないし一三、乙一、丙一六ないし二三、二八ないし四六、八七、一二五、証人首藤守、同高松瑞男、弁論の全趣旨)を総合すると、原告の逮捕に至る捜査の過程について、以下の事実が認められる。

(1) 神奈川県警警備部外事課司法警察員は、昭和六三年一月二一日午後八時五〇分、匿名の男性から××通りにある「A」という飲み屋を経営する「オツカワ」という女性が大韓機事件に関係があるのではないかとの密告電話を受けた。その密告では、この「オツカワ」という三〇歳位の女性は幾つもの名前を使用し、他人の名でアパートに居住しているというので、神奈川県警は、外事課係官により、直ちに右密告の内容を確認するため、「A」の所在とその経営者について内偵捜査を開始したところ、以下の各事実が判明した。

(2) 「A」は、横須賀市〈番地略〉の××ビル三階に実在するAであり、その経営者甲野花子の住所地であるとして開業届出書に記載されている横須賀市〈番地略〉は、同開業届出書にその住民票写しが添付されているものの、同人の居住の事実は認められず、自宅の電話番号の設置場所は横須賀市〈番地略〉で、その加入者は「乙川春子」となっており、さらに、右設置場所は、昭和六二年一一月二六日にAのある××ビルに移転され、電話番号も改番されていた。

電話の設置場所である横須賀市〈番地略〉に「乙川春子」の住居異動届はないが、同住所地を管轄する派出所には世帯主「乙川春子」名の案内カードが保管されており、右人物は右カードが作成された昭和六一年九月二九日ころ居住していた。右カードの記載は、電話番号がAの営業開始届出書に記載してある甲野花子の電話番号と同番号で本籍地も同県であった。「乙川春子」が居住していた横須賀市〈番地略〉のアパート(以下「××アパート」という。)は、××郵便局の二階の二部屋あるうちの一室であり、「乙川春子」は、昭和六〇年六月ころ××アパートに入居し、昭和六一年一二月初めころ転居したこと、同アパートの二階に居住していた乙川春子は、氏名が似ていたため、しばしば郵便物が誤って配達されたが、宛名は「乙川方甲野花子」又は「乙川春子」となっており、郵便物の中には国際郵便もあった。「乙川春子」は、××アパートの賃貸借の際の連帯保証人につき、自ら連帯保証人に連絡した後、仲介した不動産業者に電話を代わって保証人の同意を貰った。捜査員が、Aの経営者である原告の写真を示して参考人から事情を聴取した結果、原告と「乙川春子」は同一人物であると認めるに至った。

(3) 原告は、横須賀市長に対し、昭和六一年一一月一〇日付けで、兵庫県西宮市内から横須賀市〈番地略〉に転入した旨の転入届をし、次いで、同六二年八月一六日付けで、同市〈番地略〉に転居した旨の転居届をし、同六三年一月六日付けで同市〈番地略〉の××ビル六〇二号室(以下「××マンション」という。)に転居した旨の転居届をした。

原告は、同六三年三月一五日、当時、住民票に記載された住所地である××マンションに単身で居住し、Aを経営していたが、右マンションの郵便受けの名前は「松本(コウノ)」と表記されていて、同マンションには、横須賀市役所に勤務するBが親しく出入りしていた。

(4) 原告は、上町アパートの賃貸借契約申込書に以前の勤務先として野本運送と記載したが、その稼働の事実は認められず、また、原告の上町アパートに居住していた当時の派出所保管の案内カードの職業欄には早稲田経理学院勤務・講師と記載されているが、昭和六二年度の市民税、県民税の納入はなかった。

(5) 原告は、昭和五二年二月八日に初回の数次旅券の発給を受け、その後、同五七年二月二日(旅券番号ME九三二一三一九号)、昭和六一年一二月一六日と二回更新申請して旅券発給を受けていた。

原告は、第三回目の旅券発給申請の際には、住所として横須賀市〈番地略〉、国内連絡先として右同所居住の義兄Cと記載しているが、原告は、Cが書籍販売の事務所として賃借していた場所を自分の住所地として転入届をし、それを利用して旅券発給の申請をしたもので、しかも、Cは原告の義兄ではなかった。原告は、右更新した旅券を本件逮捕当時も所持していた。

(6) 原告は、昭和五二年二月二四日に香港に向けて出国し、昭和五九年七月一九日にフランクフルトから帰国するまで七年余りの間、海外に滞在しており、その後、①昭和五九年一二月二一日にソウルへ向けて出国、昭和六〇年一月七日にソウルから帰国、②同年四月九日にカラチへ向けて出国、同年五月二六日にシンガポールから帰国、③同年一一月二〇日にシンガポールへ向けて出国、昭和六一年二月六日にモスクワから帰国、④同年八月三〇日にバンコクへ向けて出国、同年九月三日にバンコクから帰国、⑤昭和六二年一月一六日にソウルへ向けて出国、同年三月一日にソウルから帰国、⑥同年一〇月六日に香港へ向けて出国、同月一二日に香港から帰国の合計六回にわたり海外に渡航し、延べ二〇〇日余り海外に滞在していた。

(7) また、神奈川県警は、Aの開業届出書に記載の電話番号についての捜査と並行し、警察庁警備局外事課に対し、Aの経営者である原告について同庁が把握している事実の照会をした結果、以下の回答を得た。

① 原告は、海外渡航中の一九八二年二月六日、コペンハーゲンで北朝鮮連絡部員のキム・ユー・チョル(以下「キム」という。)と接触し、一緒に東ベルリン経由でモスクワに向け出国し、一九八三年六月二五日にも、コペンハーゲンでキムと接触し、翌日、キムと二人で夫婦を装い一緒にベオグラードへ出国した。原告は、コペンハーゲンで宿泊したレジナホテルにおいて、「甲野、一九五五年一一月六日生、旅券番号ME九三二一三一九号」と申告した。

② キムは、一九三八年四月一七日平壌で生まれ、身長一七〇センチくらい、やせ型で、眼鏡を掛けており、日本語を流暢に話すという特徴を有し、一九七八年二月在デンマーク北朝鮮大使館勤務、一九八〇年秋在ベオグラード北朝鮮大使館勤務を経て、一九八一年からユーゴスラビア在ザグレブ北朝鮮総領事館に副領事として勤務していた人物で、当時北朝鮮・朝鮮労働党連絡部の欧州地区担当幹部であった。

③ 朝鮮労働党の任務は、海外における情報活動、秘密工作活動を行うと共に、大韓民国(以下「韓国」という。)に派遣する特殊工作員を養成・訓練して、同国内で非合法的な地下工作活動を行うことにあり、右連絡部の日本人、韓国人工作のうち、特に重要な任務は、韓国に合法的に渡航できる工作員を養成し、又はその工作員を指揮することである。

④ 海外渡航中にキムと接触したと見られる日本人女性らのうち、「G」は、一九八二年三月一〇日、コペンハーゲンにおいて「YAMATA Jera」と接触し、同年三月一七日、キムを加えた三人で東ベルリンへ向け出国しているところ、右接触状況を撮影した写真から「YAMATA」なる人物は「よど号」ハイジャック犯の「阿部公博」と同一人物であるとみられ、「G」の実母は川崎市に居住している。

さらに、神奈川県警は、警察庁外事課から同課が保管する原告らの写真を入手したが、原告に関する写真は、キム及び女性が別々に写っている写真であり、キムの写真は、正面から撮影した証明用写真様のもの一枚、原告の写真は、荷物をカートで運んでいる眼鏡を掛けた女性をほぼ正面から撮影し、写真右下部に「H.KOUNO、(FEB 1982)」と付記されているもの一枚と荷物の横で佇む女性を横から写したもの一枚の合計三枚であり、右写真自体にはいずれも撮影者、撮影年月日の記載はなく、神奈川県警はその確認をしていない。また「G」に関する写真は、座っている「G」を正面から撮影した写真で、写真左下部に「NATSUKO G(marts 1982)。」と付記されているもの、右写真で撮影された場所において「G」と「YAMATA Jera」が隣り合わせに座っているのを撮影した写真で写真右下部に「YAMATA Jera(marts 1982)。」と付記されているもの、右「YAMATA Jera」の拡大顔写真、「よど号」ハイジャック犯の「阿部公博」の拡大顔写真の合計四枚であり、右写真はいずれも撮影者、撮影年月日の記載がなく、神奈川県警はその確認をしておらず、写真自体は古くぼけていた。

なお、「YAMATA Jera」の拡大顔写真及び「阿部公博」の拡大顔写真につき、昭和六三年五月二四日付けの警察庁科学警察研究所第一研究室技官による人物の異同識別の鑑定では、鑑定資料となった「YAMATA Jera」の拡大顔写真の像は極めて不鮮明で、特に顔面右側の輪郭線は観察困難な状態にあることが認められるものの、両者は同一人物と考えて差し支えないというものであった。

(8) 大韓機事件とは、昭和六二年暮れころ、大韓航空機が時限爆弾の爆発によりベンガル湾付近で墜落し、乗客乗員全員が死亡した事件で、日本政府は、右事件は、偽造の日本旅券を所持していた北朝鮮工作員の男女によるもので、同国による組織的テロ行為であるとの公式見解を示し、新聞等では、この時の女性被疑者金賢姫に対する日本人教育を行ったのは、日本から拉致された恩恵という日本人であるとの報道がされていた。

よど号事件とは、田宮高麿、阿部公博、柴田泰弘(以下「柴田」という。)ほか数名が、昭和四五年春、羽田から福岡に向けて飛行中の日本航空の「よど号」をハイジャックし、乗客を人質として福岡及びソウルを経て平壌まで飛行させ北朝鮮で保護を受けた事件で、右柴田は、その後、日本に不法入国し、東京都新宿区のアパートにいたところ、昭和六三年五月、逮捕された。

(9) 以上の神奈川県警の内偵捜査の結果から、原告は、偽名で××アパートを賃借して居住し、この間二度にわたって、自己の住所につき居住していない場所に転入届及び転居届を提出したうえで、四回にわたる海外渡航をしていることが判明し、神奈川県警は、本件各被疑事実及び旅券法違反(第三回目の旅券発給申請の際に、住所地及び渡航中の連絡先について虚偽の記載をしたことが旅券法二三条の申請に関わる書類に虚偽の申請をしたということでその罰則にふれる疑い。)が成立するものと判断し、また、神奈川県警捜査主任の首藤守警部(以下「首藤警部」という。)は、原告の昭和五二年二月から昭和六二年一一月までの間の居住実体がきわめて不明確であること、原告は、昭和六二年一一月に横須賀市に転入届をしているが、右届出された住所地に居住した事実はなく、同六三年に転居届をした住所地も単身の仮住まいであって、居所が極めて不安定であること、しかも原告は実際の居住地において偽名を使用していること、原告は昭和五二年の海外渡航を皮切りに七回にわたって海外渡航をしており、特に第一回目の海外渡航は七年五か月余の長期にわたるもので、その間に、北朝鮮連絡部員のキムと接触しており、現在も有効な数次旅券を有していることからすれば、原告は国内はもとより海外に逃亡する恐れもあると判断した。さらに、原告が、第三回目の海外旅行から帰国した三日後に、土地感のないと思われる横須賀市内でアパート入居契約をしていること、原告のA開店までの職業は判然とせず、度重なる海外渡航には多額の費用がかかるであろうことから、原告が住居を賃借する際及びAを開店する際には、これを援助した支援者がいると思われること、原告は海外渡航中にキムと接触し、キムは「よど号」ハイジャック事件の被疑者とも接触していることからすれば、原告も海外逃亡中の「よど号」ハイジャック事件の被疑者らと接触し支援していたのではないかと疑われ、本件各犯行は、組織的背景によって敢行された疑いがあり、罪証隠滅のおそれが高いと判断した。

そこで、首藤警部は、本件被疑事実につき、原告の身柄を拘束し、関係各所を捜索差押する等の強制捜査をする必要があると判断し、原告の逮捕状及び原告宅、A、原告の実家、C宅、B宅の計五か所の捜索差押許可状の申請をし、各許可状の発布を受けて、捜索差押をした。ただし、本件被疑事実のうち公正証書原本不実記載・同行使については、原告宅に頻繁に出入りしていたBが横須賀市職員であり横須賀市役所の捜査には支障があったこと、原告の虚偽の住所地を現に使用していたCと原告との関係についての捜査が十分ではなかったことから、有印私文書偽造・同行使罪のみを逮捕被疑事実とし、原告逮捕後に右公正証書原本不実記載・同行使も被疑事実に加えて検察官に送致した。

(二)  以上認定の事実に照らして検討する。

原告が北朝鮮の連絡部員と海外において接触したという警察庁の情報は、神奈川県警においてその情報源の確認ができず、添付されている写真は原告とキムが接触している状況を撮影したものではなく、写真自体も不鮮明であるなどの不確実な部分があるにしても、原告がキムと接触したコペンハーゲンで原告が泊まったホテルに残された旅券番号の記載が原告が旅券の更新を受けそのころ有していた旅券の番号と一致し、原告とキムとの接触の日時も特定されている等情報内容が具体的であること、また、キムと接触した日本人女性がよど号事件犯人と接触を有するとの情報についても、接触状況の写真等は不鮮明なものであるが、写真の人物がよど号犯人の阿部公博と同一人物であるとの鑑定があり、かつ、この情報内容も具体的なものであったことからすれば、信頼できる情報として、本件被疑事実の組織的背景を疑う資料とすることは合理的である。

このほか前記認定のとおり、神奈川県警が原告の逮捕時までに現に収集した証拠を通覧すれば、前記判断基準に照らして、首藤警部が前記のとおり原告に対する逮捕の理由及び必要性を認め、強制捜査の必要性があるとして逮捕状を請求してこれを執行した判断について合理性を欠くということはできない。

(三)  原告は、本件逮捕事実は原告が通称名を用いてした賃貸借契約であって文書偽造罪は成立しないか、少なくとも過去の軽微な事件であるから、本件逮捕はむしろ原告のスパイ活動を捜査するための別件逮捕であるとする。

確かに、私人間の賃貸借契約書は、通称で作成されたとしても、作成者がその法的効果が及ぶことを免れようとの意図をもたず、相手方が通称であることを認識し、あるいは認識し得べき場合には関係当事者間における限り、作成名義人と作成者との同一性に齟齬を生じさせるものではなく、文書偽造罪は成立しないものと解される。しかし、本件のように、原告が、その逮捕後に送致された公正証書原本不実記載罪と相まって、日本国内における原告の所在を秘匿しようという意図をもって右賃貸借契約書を偽名で作成したことが疑われる場合には、右賃貸借契約書に乙川春子名を使用することは、賃貸借当事者間を越えて文書の作成の真正が問題となるものであり、偽造に当たるか否かは文書の性質、用途、作成者がその文書をどのような意図・目的のもとに使用しようとするものであるかなどの諸事情を総合して客観的に判断して偽造罪の成否を決すべきものである。

原告が××アパートを賃貸借する際に用いた乙川春子名については、神奈川県警には原告が本名と乙川名を使い分けていることは判明していたものの、現住所である××マンションの郵便受けに、「松本(コウノ)」という新たな偽名を使用しているような表記もあり、逮捕状請求の時点では右表記の理由なども未解明であって原告が偽名を用いて身分を偽ろうとしていたのではないかと疑われ、原告が乙川春子名を使用した意図も未だ判明していなかったことからすると、本件逮捕状の請求に当たり、本件逮捕事実の嫌疑があると判断したことも不合理であるとまではいえない。

さらに、いわゆる別件逮捕、勾留とは、専ら身柄を拘束するに足りる証拠のない重大な「本件」について被疑者の身柄を拘束して取調べる目的で、証拠が揃っているが逮捕、勾留の必要がないか、又は必要性の乏しい軽微な「別件」で被疑者を逮捕、勾留し、その身柄拘束を利用して、「本件」で逮捕、勾留して取調べたと同様の効果を得る捜査方法をいうところ、原告が「本件」と主張するスパイ行為は刑事上の処罰の対象にならないから、これによって起訴されることは考えられず、原告の逮捕手続を他の罪について捜査し起訴するための証拠の収集に利用することを問題とするいわゆる別件逮捕とは、全く趣を異にするものであると考えられる。

ところで、同一の犯罪構成要件に該当する犯罪にも種々の態様があり、その態様をどう認定するかによって、これに対する社会的評価、ひいては刑の量定を含む処分は全く異なるものであって、法定刑が最高五年の懲役刑である本件被疑事実のような私文書偽造・同行使罪や公正証書原本不実記載・同行使罪でも、その動機や目的などの具体的背景を考慮に入れると、必ずしも軽微な事件ではないこともあり、また、犯罪の周辺にある事実であっても、常習性、計画性、組織性等は、犯罪それ自体の悪質性の度合いを決定する最も重要な情状となることは明らかなことである。

本件被疑事実については、神奈川県警の内偵捜査の段階で、原告が北朝鮮諜報機関の幹部と接触しその活動に協力するために本件被疑事実を敢行した疑いが認められ、原告が、北朝鮮諜報機関の諜報員の一員であるか否か、その活動を支援するために本件が敢行されたものであるか否か、原告と組織との関与の程度、原告の国内外での活動内容如何によっては、本件被疑事実について量刑が全く異なる可能性が高いものと認められ、原告が「別件」であると主張する本件被疑事実自体が、背後の事情によっては軽微な事件とはいえないもので、原告が主張する「本件」部分は、本件被疑事実の情状であり、原告に対する処分を決める重要な要素となるものであるから、原告の右逮捕はいわゆる別件逮捕とはいえない。

また、原告の旅券法違反による処分を「本件」とする別件逮捕であるとの原告の主張については、前記内偵捜査の結果からすれば、「別件」とされる本件被疑事実と「本件」とされる旅券法違反の処分との間には、社会的事実として一連の密接な関連があると認められるから、原告の主張する「別件」の捜査として事件当時の被疑者の行動状況について被疑者を取調べることは、他面において原告の主張する「本件」の捜査ともなるのであるから本件被疑事実による逮捕中に「別件」のみならず「本件」についても被疑者を取調べているとしても、それは、専ら「本件」のためにする取調であるといえないことは明らかであり、「別件」について当然しなければならない取調をしたものにほかならないというべきであって、原告の右主張は採用できない。

3(一)  次に、証拠(甲二九、三五、六四ないしないし六六、六八、六九、乙二の一、二、一八、二三の一、二、三二、丙一ないし三、四七ないし五八、六三、六五、七二、証人河野芳雄、同湯原昭夫、同高松瑞男)を総合すると勾留の違法性を判断するにあたり、原告逮捕後、勾留請求に至る捜査の過程について、以下の事実が認められる。

(1) 神奈川県警は、昭和六三年五月二三日ころ、原告に関する捜査の結果、原告が本件逮捕事実を敢行したこと、原告は海外渡航を重ねているが、その間に原告はキムと接触し、キムはよど号犯人と接触していたと判断した。

(2) 神奈川県警は、原告逮捕当日、原告宅等を捜索差押するほか、原告宅の検証を行い、原告宅から次の物を押収した。

① 黒色表紙のメモ帳

大楠高校二年生のH、Iについて、住所、電話番号、性格、所属する運動クラブや文化クラブが記載されており、この記載内容は、よど号事件の犯人柴田の自宅から押収されたカード入れ(住所録)に記載されていた内容と一致していた。また、数字を用いた暗号様の記載、隠語等のほか、北朝鮮の主体思想(チュチュ思想)に関する学習メモと見られる記載もあった。

② 青色表紙の手帳

百数十名分の住所、氏名、特徴等が記載されていた。

③ 帯封のついた一〇〇ドル紙幣一〇〇枚の束

(3) 原告は、神奈川県警における弁解録取の際、逮捕事実をいずれも認めたものの、その後の捜査官の取調べにおいて、昭和四九年三月に高校を卒業した後の経歴については黙秘し、過去の勤務先、Aの開店資金の借入先については具体的な供述をせず、「乙川春子」名は、高校卒業以来使用しており、これは、新しく気持ちを整理して人生を生まれ変わりたいためであり、気持ちの整理がついたのは一昨年ころであること、原告が外国に度々渡航できるのはヨーロッパにお金を出してくれる人がいるからであること等を供述し、旅券の取得、切替え時期、住民異動届及び旅券の住所についての取調べには、詳しい供述を拒否した。

原告は、検察官に対する弁解録取の際には、勾留事実及び旅券法違反に該当すると思われる事実については、いずれも認め、虚偽の住民異動届及び乙川名使用の理由は、家庭環境が複雑であったため家族に住居を知られたくなかったからであり、横須賀市に居住したのは、××アパートに引っ越して来たのが最初で、その前は東京に居住していたこと、原告が海外に渡航するのは男性に会うためであること等を供述したが、右男性の国籍等の具体的な供述はしなかった。

なお、原告には、前科前歴はなかった。

(4) 参考人の取調べ及び裏付け捜査の状況は、以下のとおりである。

大楠高校生のH及びIは、原告も柴田も知らないが、原告宅から押収された黒色表紙手帳に記載された内容は事実と合致していると供述した。

原告の母親は、昭和四五年に離婚して原告らを引き取り同四六年に再婚したこと、原告が西宮高等学校を卒業した後、資生堂の美容部員、南海保育専門学校へ入学したものの、昭和五二年ころ実習のため信州方面に行くとして家を出て音信不通になり、原告が居住していたアパートは荷物が置かれたままの状況だったので、家族がそこを引き払ったこと、昭和五六年ころ、マレーシアの日本大使館から原告の旅券の切替について身分確認の電話が入り、間もなく、原告から安否を告げる旨の手紙がマレーシアから届いたが再び音信不通となったこと、原告が、昭和五九年ころ、母親宛に東京に居住していると連絡し、昭和六二年八月、原告は、大阪で一〇年ぶりに母親に会い、××アパートの住所と電話番号を知らせると共に横須賀市に店を持ちたいと告げ、その帰りに東京で長兄に会ったこと、同年九月ころ、原告が、両親に横須賀市に店を持つ旨の相談をしたいと連絡したうえ実家に帰り、家族に相談し、両親が、同年一一月三日、××アパートに原告を訪問して、Aの賃貸借契約に立ち会い、その開店資金として合計六〇〇万円を援助し、同六三年元旦にはAを訪問したこと、原告が、その時、××アパートを引っ越して××マンションに転居していたこと等を供述した。

Cは、原告との関係及び原告がCの事務所所在地に転入届をした経緯について、Cが、昭和六一年二月ころ、本の出版販売会社の横須賀営業所長をしていたとき、原告を書籍販売員として採用したが、同女は同年六月に退職したこと、原告が主にヨーロッパ各国を旅行した経験があり五〇歳前後の金持ちの男に世話してもらったことがあると語ったこと、Cが、昭和六一年七月一〇日、退職して独立し、書籍販売の事務所として横須賀市大矢部の石井荘二階を賃借したが、同年九月ないし一〇月ころ、原告から住所を実家から異動したいが石井荘に住居を異動したことにしていいかと頼まれて承諾し、同所に届く原告宛の郵便物を××アパートに届けていたこと、原告が住所を異動した理由については具体的には聞いておらず、安易に応じたものであり、昭和六二年三月に事務所を移転して、これを原告にも知らせたこと等を供述した。

Bは、原告とは昭和六二年の八月ころ原告が勤めていたカウンターパブ「××」で知り合い、同六三年三月ころから同棲していること、原告の本名が甲野花子であるが、「乙川春子」名を使用して××アパートに居住していたこと、原告がAの開店後は店内に居住する予定であったところ、店の設計者松本ひろしが現住所の××マンションを松本名義で賃借して原告が住むように譲ったので、昭和六二年一一月ころに引っ越したことを供述し、原告の引っ越しを手伝ったAの内装工事業者も、原告が昭和六二年一一月二六日に××アパートから××マンションに引っ越したが、その際、設計者の松本洋も引っ越しを手伝っていた旨供述した。

なお、松本洋については、所在が不明であったため参考人としての供述を得ることができなかった。

このほか、神奈川県警は、旅券事務所職員、横須賀市役所職員らを取調べて本件被疑事実について裏付けをとり、原告が通学した早稲田経理学院長を取調べて原告の授業態度及びワープロ講師として採用した経緯等の原告の稼働状況について裏付けをとったほか、原告が勤めていたスナック「××」の客も参考人として取調べた。

(5) 河野検事は、北朝鮮諜報機関連絡部長と見られるキムと原告が接触しているとの情報を警察庁が把握していたこと、原告宅捜索の結果、朝鮮労働党の主体思想の学習メモ、暗号様の数字、「よど号」乗っ取り犯人柴田宅から押収された手帳に記載されている高校生二名の氏名が記載された手帳及び渡航費用ないし工作資金と思われる一〇〇ドル札の束等が押収されたこと等を考慮して、原告は日本国外において、北朝鮮のスパイとして活動していた疑いが濃厚に認められると判断した。そして、原告が、自己の本名を秘匿し「乙川春子」として居室の賃貸借契約を締結し、旅券を取得するために本名を名乗らざるを得ない場合にも、一時的に住所を借用するために虚偽の住民異動届をするなどしたのは、原告が日本国内外においてスパイ活動を敢行するためである疑いが濃厚であると判断した。

河野検事は、原告が犯行動機についてあいまいな供述をするのみであったので、原告の取調べを継続するほか、隣人、友人、実母等の関係者を取調べ、押収した前記手帳、メモ帳及びドル札など証拠品を検討し、これらの証拠品に記載されているHほかの関係者の取調べを実施する必要があり、また、原告は単身者であって逃走のおそれも十分あり、高校卒業後の不鮮明な海外での行動、海外に逃亡していた「よど号」事件犯人らとの関連からすると、組織の庇護のもとに海外逃亡するおそれも認められること、原告には旅券法違反の余罪も認められるとともに、公正証書原本不実記載罪を常習的に敢行しているものである疑いも考慮し、接見禁止のうえ勾留する必要があると判断した。

(二)  以上認定の事実に照らして検討する。

原告は、弁解録取の際、検察官に対し、本件勾留事実を認めており、したがって、本件勾留請求当時、原告について勾留事実に対する相当な嫌疑が存在したというべく、原告に対する勾留の理由があるとの河野検事の判断は合理性がないということはできない。

そして、河野検事が、原告宅の現在の郵便受けの表示が現在も偽名を使用していることによるものであるとの疑いを残しつつ、原告宅捜索の結果、本件勾留事実の背後関係を疑わせる物証が押収されたほか、その後、前記認定のとおり勾留請求時までに現に収集し得た証拠に基づき、原告に対し接見禁止のうえ勾留請求する必要性があるとした判断は、前記1記載の判断基準に照らして、合理性を肯定し得る。

なお、原告は、本件勾留事実については認めており、押収物等から推測される事実も専ら本件勾留事実敢行の背景事情、動機に関係するものではあるが、前記のとおり、本件勾留事実が原告が北朝鮮のスパイとして日本国内外で活動するための手段として行われたものか否かは、その犯罪としての態様を形作り、特色づける要素であり、これらは、犯罪事実そのものの評価を左右する要素として、量刑上、犯罪構成要件に優るとも劣らないほど重要な意味を有することは明らかであるから、これらについての証拠隠滅は、犯罪事実と直接関係のない一般的な情状についての証拠隠滅と区別され、犯罪事実に密接に関連する事実についての証拠隠滅と同等に考えるのが相当である。

4(一)  証拠(甲一五ないし二〇、二二ないし三三、七〇ないし九七、一〇〇、一〇一、一一一、乙二の二、二四ないし二九、三二、丙四ないし八、六四、六六、八八、一一七、一一八、証人野田征勝、同霧生保、同首藤守、同河野芳雄)を総合すると、原告の勾留後、勾留延長請求までの捜査過程について、以下の事実が認められる。

(1) 原告は、家族や自分の経歴、原告の交遊関係者(××アパート入居前に居住していた東京都内の友人の氏名及び住所、横須賀市転入のきっかけとなった横須賀市居住の友人の氏名及び住所、××アパートへの引っ越しを依頼した業者の氏名等、××アパートに出入りする友人の氏名及び国籍、海外渡航に同行した友人の氏名及び性別、逮捕当時同居していたBとの関係及び知り合った経緯等、××アパート入居中のアルバイト先の会社名、所在地、旅券更新手続きの際の職業欄記載のアルバイト先の責任者の氏名、関係等)については、捜査官に対し、一貫して供述を拒否し、また、一度取調べが行われた事項について、繰り返し質問をすると既に供述したとおりであるとして、供述を拒否することもしばしばあった。

原告は、捜査官に対し、××アパートの入居手続きについて、自分で横須賀中央駅付近の不動産屋を飛び込みで探して二万円程度の安い物件を見つけ、入居申込書は自分で記載したが、住所は、横須賀市内の地図を見て予めメモに用意し、職業も電話番号帳で調べておいたものであり、不動産業者から保証人の確認はなかった旨供述した。

原告は、捜査官に対し、架空の転入届を行った動機として、①旅券の期限が間もなく切れ、更新の必要があり手続上住所地を移した方が都合が良かったこと、②海外旅行に行く度に外国人男性が一〇〇万円単位のお金をくれたので、それをためてアルバイトでもう少し稼ぎ、いずれ店を出したいと思っていたこと、③親に知られたくなかったことにあると供述し、Cにつき、会社の上司で退職後もお世話になった人で、同人の事務所所在地に住民異動届をした際は二回とも引っ越しの予定があるからと説明し、旅券発行申請の際、Cの事務所を国内連絡先とした理由について明らかにせず、同人の承諾は得なかったものであり、昭和六二年八月ころ、再び架空の転居届を行った理由は、Cの事務所移転に伴いCが郵便物を原告宅に届けてくれるので悪いと思ったからであると供述した。

原告は、捜査官に対し、「乙川春子」の使用は、昭和五二年の海外旅行からで、その理由は家庭問題にあり、両親が訪ねて来ないようにするためであるが、××アパートに移転した後の昭和六一年ころから、友人にだけならいいと思い、本名を名乗るようになり、昭和六二年八月初めころ、A開業の目処がついたので大阪に行き一〇年ぶりに母と会って、上記アパートの電話番号を教え、父母と毎日のように電話で話し、乙川春子名を使用する必要はなくなったものの、家主や近所の人には急に変えられないので乙川春子名で通していたこと、原告が昭和六二年一一月に現住所に移ったときは届出書類のすべてに本名を使用していること、Aの店舗及び現住所は、建築設計士である松本洋が探してくれたもので、住居は松本名義で借りて、その後、住居の所有者に賃貸借の名義人を原告に代えて貰って現在に至っており、表札に「松本(コウノ)」とあるのは、このような理由からであると供述した。

原告は、捜査官に対し、Aの開店資金の調達については、Aの改装費用は八〇〇万円で、すべてのローンを加えると一一〇〇万円位であり、開店資金のうち六〇〇万円が自己資金で四〇〇万円位が親からの援助であること、海外において原告を援助している人物については、当初は、海外旅行の費用は外国に住む外国人が援助してくれたとするものの、氏名、国籍、関係等を明らかにしなかったが、次第に、旅券更新後の昭和六二年一月、フランスにいる男性と会う約束があり、お金を貰うためにフランスに行き約一か月滞在したこと、さらに、フランス居住のヨーロッパ系の年輩の外国人男性から、海外旅行時にフランスでその男性の自宅以外の場所等で五回お金を貰ったこと、日本円に換金した分が二五〇万円及び二〇万円ずつ二回の合計約二九〇万円で、さらに、一〇〇ドル紙幣で貰った分が一万ドルづつ二回の合計二万ドルだったとおおまかな時期と金額を明らかにする供述をした。

捜査官は、同年六月一日、二日は、供述調書は作成しなかったが原告の取調べを行い、警察庁から取り寄せた原告の写真を見せて原告であるか否かを確認したところ、原告が、当初は、自分ではないと言ったが、捜査官が、目元と顎のところの輪郭が似ていると指摘すると、しばらく写真を見て目をそらし、否定も肯定もしない態度になった。

河野検事は、同六三年五月三〇日から同年六月二日にかけて原告に対し取調べを行い、この間、原告の外国での状況、キムとの関連性、証拠物についての説明、なぜアパートを偽名で借りるようになったか、パスポートを取るため虚偽の場所に住所を異動した等の事項につき原告の供述の変遷が見られたようであるが、同年六月七日に至るまで検察官面前調書は作成されていないので、その変遷の具体的な内容については不明である。

(2) 参考人の取調べ及び裏付け捜査の状況は、以下のとおりである。

神奈川県警は、原告の高校時代の担任、南海保育専門学校の校長、原告の家族ら及び昭和六〇年六月ころから逮捕に至るまでの原告の稼働先の経営者ら並びにAのアルバイトらを取調べ、さらに、原告が南海保育専門学校当時に居住していたアパートを捜査し、××ビル六〇二号室の所有者を取調べるなど原告の身上、経歴、稼働状況についての裏付け捜査を進め、また、××アパートの賃貸借申込書に記載されていた原告の住所地に居住する者、連帯保証人欄記載の住所地に居住する者、電話番号欄記載の電話の加入者、勤務先欄記載の運送会社代表者らを取調べて、いずれも原告との面識はないことを確かめて本件勾留事実についての裏付けをとった。

神奈川県警は、原告の手帳に記載されている××高校生二名及び柴田宅から押収されたカード入れに記載されている高校生ら数名を取調べたが、いずれも原告とは面識がなく、原告との関連性も認められず、また、柴田が中尾晃と称して居住していた新宿区及び世田谷区のアパートの居住者及び所有者に対し、原告の写真を示し立ち寄りの有無等を捜査したが、原告が立ち寄った形跡は認められなかったし、原告の手帳に記載されている自衛官、自衛隊職員及び防衛大学生らの一部を参考人として取調べたところ、これらの者は、原告が、店の源氏名である「洋子」、「乙川春子」等と称しており、普段は質素な生活だが、友人の誕生日パーティ等に人を集めてパーティをするのが好きで、多数の友人がおり、ボランティア活動に興味を有していたこと、海外渡航を頻繁にし、海外には原告にお金を渡す人物がいるらしいことなどを供述したが、スパイ活動を疑わせるような供述は得られなかった。

神奈川県警は、原告が代表者を務めるボランティアグループ「七つの青い星たち」のメンバーに対して原告の使用していた名称、原告との交際状況等を取調べたところ、原告が、当初は「乙川春子」と名乗っていたが、後に「甲野花子」が本名であると打ち明けたこと、原告がスナック経営などで資金を作って北海道に牧場を経営しながら不幸な子供の世話ができる施設を作りたいという夢を持っており、このグループは、原告の呼びかけで結成され、原告の夢に共感する原告の早稲田経理学院の受講生時代の友人、原告がアルバイトをしていた喫茶店で知り合った自衛官の友人らで構成されているが、施設訪問等の活動をしたのは一回しかなく、他に活動はしていないこと等が判明し、横須賀市社会福祉協議会を捜査したところ、右グループは、ボランティア団体として同六二年四月六日に登録されているが、その活動については、右グループからの報告がないため把握されていないとのことであった。

神奈川県警は、このほか、原告の手帳にメモされている旅行会社のうち、柴田宅からの押収物に記載されている旅行会社と一致するものがあることが判明したので、原告が海外渡航した際に利用した旅行代理店を捜査する等した。

(3) 原告の筆跡鑑定結果の遅延についての昭和六三年六月二日付け報告書があり、同報告書には、同年五月二七日に筆跡鑑定の資料となる原告の筆記を得て鑑定資料を作成したものの、原告が弁護士に相談するとして鑑定に必要な同意書の作成を拒否し、同意書の作成が翌日の午前中に延びてしまい、同月三〇日に鑑定嘱託し、同年六月二日に鑑定結果の照会をしたところ、鑑定にあと一週間位が必要であると回答を受けたと記載されており、また、原告の取調べ状況につき同日付けの報告書があり、同報告書には、原告の海外渡航時における行動の中で、原告宅から押収したものも含めたドルの入手経路について原告が供述したが、調書にするのは一晩考えさせてくださいと述べたというもので、同年六月二日の一一時一五分から一二時一〇分の間の供述内容についてのメモ(ドル提供者には、初めてコペンハーゲンに旅行したときに知り合った、この人は、四〇代後半、眼鏡を掛けたやせ型の身長一七二センチメートルの男性で、華僑で貿易の仕事をしていると自己紹介した。フランスの住所を教えたところ、連絡があり、コペンハーゲンで接触し、二人でベオグラードへ旅行し、その後も連絡があり、コペンハーゲンで接触し、二人で東ベルリン、モスクワを旅行した。××アパートには頻繁に電話があり、メモの××高校生二名は、この男性を知っている者から電話が掛かってきてきいた。)が添付されている。

(4) 河野検事及び外事課長が勾留延長請求日の午前一〇時三〇ないし三五分ころ、原告宅から押収した一万ドルの流通経路及び原告の氏名を別読みにした旅券発給の有無につき電話照会した結果、一万ドルについては、ニューヨーク所在のバンクオブアメリカから流通したもので、その後の流通経路は不明であること、また、別読みの氏名による旅券の発給はないとの回答を受けた。

(5) 河野検事は、原告の供述があいまいであることに加え、関係者が多数に及ぶほか、解明を要する事実関係が海外にまたがるという特殊事情があって、原告の手帳に住所、氏名、電話番号等が記載されている者が、原告の工作活動の対象とされたか否か、具体的な働きかけがあったか否かを確認する等の裏付け捜査や一万ドルについての入手経路の追跡調査、原告の筆跡鑑定などがいずれも未了であり、また原告宅から発見された多数の預金口座の資金関係の解明、預金口座及び西武マリオンの暗証番号の解明、多数の押収物の分析、原告が昭和五九年七月に帰国した後の本邦内での生活、居住状況等の多くの必要な捜査事項があり、一〇日間の勾留期間内には起訴・不起訴の処分を決定するまでに必要な所要の捜査を遂げることができないと判断し、横浜地方裁判所裁判官に予め一〇日間の勾留期間の延長を求め、同裁判官は、関係者取調未了、鑑定未了を理由として昭和六三年六月一五日までの勾留期間の延長を認めた。

(二)  以上認定の事実に照らして検討する。

本件では、勾留延長理由の一つとされた原告の筆跡鑑定の未了は、その報告書を子細にみると、筆跡鑑定にはさらに一週間を要するとされているが、原告が筆跡鑑定の同意を留保したのは一日間であって、原告の同意拒絶が直ちに筆跡鑑定が勾留期間内に終了しない理由となるとは認められないにもかかわらず、右報告書が原告の不同意を筆跡鑑定の遅延の理由としていること、原告は逮捕事実については当初から認めているところ、本訴において筆跡鑑定自体が証拠として提出されていないことからすれば、右報告書は勾留延長の理由の資料としては十分なものとはいえないが、この点を考慮しても前記認定のとおり勾留延長請求時までに行った捜査の経過からみれば、勾留延長請求がされるまでの間に勾留事実及び身柄を拘束する必要性を否定するような証拠が出現したとは認められず、勾留の要件が存在するのはもとより、原告の手帳に記載されている自衛隊関係者等の重要関係人の取調べ及び多数の押収物の分析もなお未了であったのであるから、これら関係人の取調べ等を遂げなければ起訴・不起訴の決定が困難であったと認められ、したがって、勾留延長はやむを得ないものであり、右勾留延長請求についての検察官の判断は合理性を欠くものということはできない。

5  逮捕留置について検討する。

被疑者を逮捕して逮捕状に指定された官公署その他の場所(刑事訴訟法二〇〇条)に引致したとき逮捕手続は終了するが、これによって直ちに被疑者を釈放しなければならない訳ではなく、司法警察員は、留置の必要があると思料するときは制限時間内に検察官に送致する手続をとるまでの間身柄を留置しておくことができる(同法二〇三条)。この逮捕による身柄拘束期間は、最大限七二時間(同法二〇四、二〇五条)に制限されているから、このような比較的短期間の身体の自由の拘束は憲法三四条前段の「抑留」に当たるというべきである。したがって、被疑者の逮捕は、憲法三四条の拘禁に当たらないから、その逮捕につき、身柄拘束の理由を開示する手続がなくても違法とはいえないことは明らかである。そして、逮捕された身柄を留置する場所について明記した規定は刑事訴訟法上ないが、留置が引致に引き続き行われるものであることからすれば、引致の場所において留置をなすのが原則であると考えられる。そして、同法二〇九条が同七五条を準用していることにより、監獄を留置場所とすることが認められており、ここに「監獄」とは代用監獄として警察署付属の留置場を含むことは監獄法一条三項の規定上明白であるから、本件においても逮捕された原告を水上警察署留置場に留置した司法警察員の行為は違法とはいえない。

6  代用監獄制度について検討する。

憲法の定める令状主義は、強制処分をするには裁判所又は裁判官の令状が必要であるとすることによって強制処分の理由と必要性を公正な第三者としての機関に審査させて強制処分の濫用、人権侵害の防止を図ることを目的とするものであり、この審査を経た後の被疑者の身柄拘束場所については明記せず、これを立法裁量に委ねているとみるのが相当であるところ、監獄法一条一項は、監獄を四種に分類し、同条項四号に拘置監を規定し、拘置監は刑事被告人(被疑者を含む。)等を拘禁するところとする旨定め、かつ、同条三項に「警察官署に付属する留置場は之を監獄に代用することを得」と規定して代用監獄制度を認めている。

また、国際人権B規約九条は、裁判官の許へ被疑者の身柄を引致した後の措置については、直接規定していないものであって、同条が、被疑者の身柄を捜査官の管理下に置くことによる弊害を防ぐという趣旨を内包するとしても、現在、被疑者留置規則四条等で警察署の留置業務と捜査が組織上も明確に区別されていることからすれば、代用監獄に収容したからといって、直ちに、被疑者の身柄を捜査官憲の許におくものとはいえない。

そして、代用監獄で行われる未決拘禁は、場所が留置場であるというだけで、未決拘禁作用そのものとしては拘置所におけるそれとの間に差異のあるものを監獄法は予定していないこと、監獄法上いかなる場合に監獄に代用できるかを定めた規定は何ら存在しないこと、被疑者の逮捕後の拘置場所に対する規制は法規上存せず、むしろ警察署の留置場をそれに予定しているものと解されること等からすれば、監獄法一条三項の規定は、本来逮捕後の留置に用いられる営造物を監獄として用いることができるという趣旨の規定であって、勾留場所の指定は、裁判官が当該事件について存する諸事情を勘案して裁量により決める裁量判断事項であると解するのが相当であり、したがって河野検事が、原告の勾留請求書で勾留場所を指定したとしても、それが裁判官の判断を拘束するものではなく、右検察官の行為は、国家賠償法上違法であるか否かがそもそも問題とならないものというべきである。

二  争点二について

1 捜査官が被疑者の住居について捜索・差押許可状の発布を請求するには、捜索、差押えの必要性及び被疑者が罪を犯したと思料される状況があることを要し(刑訴法二一八条一項、同規則一五六条一項)、被疑者以外の者の住居その他の場所について捜索許可状を請求するには、捜索に係る被疑事実について捜索場所に差し押さえるべき物の存在を認めるに足りる状況があることを要する(刑訴法二二二条一項、同一〇二条二項)。

そして、右の各要件に該当する事実が存在することは、その性質上、捜査機関が挙証責任を負担するものと解するのが相当であるが、この場合嫌疑に関する資料は、客観的に犯罪の嫌疑が一応存在することを根拠づけるものであれば足り、逮捕の場合(刑訴法一九九条一項)に比して低い程度の嫌疑をもって足りるものであると解され、また、捜索の結果押収すべき物が存在しなかったことが判明したとしても、そのことだけでは捜索が違法になるものと解するべきではなく、捜査機関が、捜索の時までに収集した証拠資料及び収集し得た証拠資料を総合勘案して、合理的な推論により、捜索に係る被疑事実につき嫌疑が存在し、かつ、捜索の必要性があり、また、被疑者以外の者の住居等を捜索するときは押収すべき物が存在すると認めるに足りる状況があると判断された場合には、捜索は違法性を欠くものと解すべきである。

2  そこで、本件における右の各要件の存否について検討する。

(一) 原告逮捕前に請求された各捜索・差押許可状についての請求経緯は、前記一で認定したとおりであり、証拠(乙三ないし七の各一、二)によれば、右捜索に係る被疑事実は、逮捕事実と同じであって、逮捕事実について嫌疑が認められる以上、捜索に係る被疑事実につき、その嫌疑が存在するとした捜査官の判断は合理的である。

前記一で認定した右捜索・差押許可状請求に至る内偵捜査の経緯及び証拠(丙四五、証人首藤守)によれば、原告は、右各許可状請求当時、原告宅である××マンションに居住し、Aの経営者として開業届出をして稼働していたこと、甲野花代は、原告の実母で、再婚して夫婦で居住しており、同人の夫から横須賀市の原告宅に、昭和六三年に入ってから三、四回宅急便で荷物を送付するなど、原告と原告の実家とは相互に連絡を取り合っている状況が見られたこと、Cは、原告が虚偽の転入届をした場所を書籍販売関係の事務所として使用し、原告の第三回目の旅券発給申請の際には義兄として続柄が記載されている者であり、送致予定の公正証書原本不実記載・同行使に関係し、原告と密接な関係を有する者と認められたこと、Bは、原告宅に頻繁に出入りしていた者で、原告と親密な関係にあったことがそれぞれ認められるところ、これらの事情から、甲野花代、C及びBが、本件被疑事件に関する証拠物をそれぞれ所持し、あるいは保管する立場にあり得るほど原告と密接な関係を有している者であると一応捜査官が判断したことは、合理性を欠くものではない。

また、前記一認定のとおり、右各許可状請求当時は、原告が日本国内外で北朝鮮の連絡部員やよど号事件犯人を援助する目的をもって、その手段として本件被疑事実を敢行したと見られる状況にあったものであり、右犯行の動機、目的、手段方法、共犯関係ないし背後関係を明らかにするための証拠は極めて重要であると考えられるところ、この種事件の捜査には迅速性及び密行性が格段に要求され、現に、捜査官においても公正証書原本不実記載・同行使については、Bが横須賀市の職員であったため、横須賀市役所の聞き込み捜査を控えるなど、捜査の密行性に十分配慮していたことも考慮すると、原告と密接な関係を有すると目される右の者らと本件被疑事実の背後事情との関わり如何によっては、これらの者から証拠物が任意に提出されることは到底期待できず、かえって、証拠物が存在していた場合に、これが隠滅棄損される可能性も十分予測されるところであり、本件各令状を請求することについて、捜査官として捜索、差押えの必要性の要件を備えると判断したことは、合理性を欠くものとはいえないと解するのが相当である。

(二) 証拠(乙八ないし一七の一、二)によれば、原告逮捕後に請求した各捜索差押許可状の捜索に係る被疑事実は、勾留事実と同じであり、前示認定のとおり、勾留及び勾留延長の理由がそれぞれ認められると判断した捜査官の判断は合理的であって、捜索に係る被疑事実につき、その嫌疑があると判断したことは合理的である。

(1) 原告の勾留決定後勾留延長請求前の同六三年五月三〇日にされた原告宅、Aの各捜索差押許可状の請求につき検討する。

証拠(乙八、九の各一、二)によれば、右請求の際は、被疑事実として、公正証書原本不実記載・同行使が追加され、差し押えるべき物として「住民異動届」が追加されているほか、前記一で認定した右令状請求時までの捜査の経緯のとおり、原告逮捕時に原告宅から押収した手帳には、よど号事件犯人の柴田宅から押収されたカード入れ記載の××高校生二名の氏名等が記載され、原告宅から新品の帯封のついた一万ドル札の束が発見されたこと、原告は、その経歴、原告の交遊関係者についての供述を拒否するほか、架空の転入届を行った理由について家族に現住地を秘匿したいからであると供述するが、原告が深田台のCの事務所に転居届をした同六二年八月一六日ころには、原告は、母親に対し、当時居住していた××アパートの電話番号を教え同所に居住していることを知らせており、家族に実際の住所地を秘匿するという理由は解消しているはずであり、このように原告の供述には不自然な点が見られること、原告は、海外渡航の際に知り合った男性からお金を貰ったという供述をしているのであり、これらの事実及び公正証書原本不実記載等の被疑事実が新たに加わっていることからも、捜査官が、原告宅及びAにつき再度捜索、差押えを行う必要性があると判断したのは、合理性を欠くものとはいえない。

(2) 原告の勾留延長決定後にされた原告宅、A、D宅、E宅、F宅及び国際電信電話株式会社についての捜索・差押許可状の請求につき検討する。

証拠(甲五五ないし五七、九八、九九、一〇二、一〇四、一〇五、一〇七ないし一〇九、一一二ないし一一八、一二〇ないし一二四、乙一九ないし二一、丙九ないし一五、五二、五五、七〇、七一、八二ないし八六、一〇二の一ないし三、証人霧生保、同首藤守、同河野芳雄、原告本人)を総合すると、以下の事実が認められる。

ア 原告は、昭和六三年六月三日から同月一一日までの間、神奈川県警及び警察官の取調べに対し概ね、以下のとおり供述した。

原告は、同五二年に海外へ渡航し、同五六年デンマークのコペンハーゲン市内を旅行中、ほとんど訛りのない日本語を話し、華僑で中国物産品の輸出をしている会社に勤務すると称する劉と名乗る男(身長約一七二センチメートル、やせ型、年齢四〇歳前半)と知り合い、同年七月ころ、劉とコペンハーゲン市内で会った際、肉体関係を持ち、帰途交通費として三万円相当の金員を劉から受領した。

原告は、その後、二、三度コペンハーゲン市内で劉と会い、同年八月ころ、同人から、電話の取次及び市場調査の仕事の依頼を受け、フランス、イギリスのホテルのパンフレットの入手、セーターや下着の購入を依頼され、購入費用として米ドルで一〇万円相当及び渡航費用を受領した。原告は、同年九月か一〇月ころ、前記依頼に係る品を劉に渡し、謝礼として一〇万円相当の米ドルを受領し、新たにシンガポール市内の写真の撮影及び有名ホテルのパンフレットの入手を依頼された。劉は、原告に対し、撮影場所を示した地図及びカメラ一台を渡し、撮影場所がどのような場所であるか特徴がよく判るように撮影するよう指示して、五〇万円相当の米ドルを渡した。原告は、シンガポールへ行き、観光地、デパート、一流ホテル、官公庁等の指定場所の写真の撮影及びホテル約二〇軒のパンフレットの収集を行い、同年一〇月か一一月ころ、コペンハーゲン市内で右写真のフィルム及びパンフレットを劉に渡し、報酬として五〇万円を受領した。

原告は、同五七年二月ころ、劉と共にコペンハーゲンから出国し、東ベルリン経由でモスクワへ旅行し、同五八年八月ころまでに二回コペンハーゲンから出国しベオグラードに旅行した。

原告は、同五九年七月、劉に会い、日本帰国の予定を告げたところ、劉から、日本においてポラロイドカメラ、ワイシャツ、下着等の生活用品合計二〇ないし三〇品目、辞書、防衛白書、警察白書等の書籍、東京、大阪、新潟、富山、京都及び兵庫の各地図の購入、日比谷公園、代々木公園、井之頭公園、新宿御苑、その他繁華街の写真撮影、銀座第一ホテル、新橋第一ホテル、帝国ホテル等のパンフレット及びホテルのガイドブックを入手することを依頼された。原告が依頼事項をメモに書き留めると、劉は、原告に対し、仕事に関するメモは用が済んだ後は細かく破るか燃やすこと、写真を撮影する場合には怪しまれないようにし写真マニアを装うこと、誰かに監視されていないかを常に注意すること、本を買うときは何回かに分けて買うこと、仕事のことを絶対に他人に言わないこと等の注意をし、費用として一万米ドル(一〇〇ドル札一〇〇枚)を支払い、両替は偽名で行うよう指示した。

原告は、同年七月、日本に帰国し、東京都内の友人宅に居候してスナックに勤務するようになり、帰国一週間後、前記一万米ドルを偽名で円に両替した。原告は、同年一二月、劉から依頼された仕事の結果を伝えるため二回目の出国をし、フランスへ渡航後、コペンハーゲンにおいて劉に会い、前記依頼に係る品物の一部を渡し、劉から、追加品として陶器や、ライター、万年筆などの装飾品等約一〇点の購入の依頼を受け、同六〇年一月、日本に帰国して、追加品を購入し、銀座、新宿等の繁華街の写真撮影を済ませて、同年四月、三回目の出国をし、フランスへ渡航後、コペンハーゲンにおいて劉に会い、これらを渡した。

原告は、右の際、劉に対し、飲食店を開業する予定であることを告げ、劉は、原告に依頼する仕事の関係上、東京か大阪に開業して欲しいと希望したが、原告が開店に金がかかると伝えると、横須賀で開店することを勧めた。原告は、劉から、横須賀に転居後複数の銀行口座を開設するよう依頼を受け、キャッシュカードの暗証番号として、一一二七、〇一二九、八〇六三、一九九五、〇五三一の各番号を使用するように指示を受け、原告からもこれに加え、一一〇六(原告の誕生月日)、〇七一九(原告の母親の誕生月日)を使用することを提案し、劉の了解を得た。

原告は、同六〇年五月、日本に帰国し、同月二九日、横須賀市〈番地略〉所在の××アパートを賃借した。原告は、契約の申込みに当たり、自己の名義を乙川春子と偽り、現住所、電話番号及び勤務先をも偽り、架空の人物を保証人とし、同年六月一日、右アパートに転居した。

原告は、同年九月中旬か下旬ころ、劉からの電話連絡を受けて、同年一一月、四回目の出国をし、フランスへ渡航後、コペンハーゲン市内で劉と会い、劉から原告の知人の住所、出身地、性格、趣味等の調査、特に経済的困窮者、退職希望者、海外渡航希望者の調査を依頼され、翌六一年一月下旬ころ、右報酬として一万米ドルを受領した。原告は、右渡航の際、友人に対し、実家に帰省すると偽り、虚偽の住所を告げた。

原告は、同年二月、日本に帰国し、同年一〇月上旬ころ、劉から前記知人の名簿の作成を催促する電話を受けた。原告は、同年一二月、勤務先の元上司であるCの承諾を得た上、同人の事務所を住所地として住民異動届を行って住民票の写しの交付を受け、同月、同人の事務所を住所地、同人を義兄として旅券発給の申請を行い、旅券を取得した。

原告は、翌六二年一月、フランスへ渡航し、コペンハーゲン市内で劉と会い、勤務先等で知り合った知人約二〇名の氏名、住所、出身地、性格、趣味等を記載した赤色表紙手帳(当初青色表紙手帳と供述していたのを後に訂正)を劉に交付し、数日後、劉から右手帳の返還を受けると共に、報酬として新札の一〇〇ドル紙幣一〇〇枚で一万米ドルを受領した(右一〇〇ドル紙幣は、原告の逮捕日にその自宅から押収された。)。原告は、右返還を受ける際、劉から、住所は番地まで正確に書くこと、生年月日も漏れなく書くこと、家族及び趣味をもっと詳しく書くことなどの注意を受けた。

原告は、同六二年三月、日本に帰国し、同年四月以降、劉から依頼された知人の名簿を作成する作業を継続した。原告は、同年八月一六日、前記Cの事務所が横須賀市深田台に転居したことに伴い、同所に転居届を行った。原告は、同年九月ころ、劉から電話連絡を受け、直接連絡を取れない相手と連絡する方法として、西武マリオン音声伝言システムの暗証番号(〇一一二七八〇六三)及びその使用方法の説明を受けた。原告は、同年一一月初旬ころ、面識のない男性からの電話を受け、劉に対し、××高校二年生H及びIの氏名、住所、電話番号、所属クラブ、性格等を伝言するよう依頼され、劉から電話を受けた際に右伝言を取り次いだ。原告は、同年一一月、飲食店Aの営業届出をし、同月末ころ、横須賀市若松町の××マンション六〇二号室を賃借して転居し、同年一二月、前記飲食店を開店し、同六三年一月初旬ころ、右同所に転居届をした。原告は、それまでの間、一週間から一〇日に一度の割合で劉からの電話連絡を受けていたが、同六二年一二月初旬ころ、劉から「これからは忙しいのであまり連絡ができない。」旨電話で告げられ、同六三年二月下旬ころ、名簿作成の催促の電話を受けたのを最後に、以後劉からの連絡を受けてはいない。

イ 原告は、捜査官に対し、第一、二回目の海外渡航から帰国した後は、東京の友人宅に居候してスナックに勤めていたと供述したが、昭和六三年六月一二日、捜査官から同五九年七月二〇日付けの建物賃貸借契約書、重要事項説明書等を示されると、第一回目の海外渡航から帰国した翌日に、横浜市南区大岡所在のアパートを賃借し、契約の申込みに当たり、自己の氏名を八木恵子と偽り、現住所も偽り、架空の人物を保証人としたことを認める供述をしたものの、横須賀市に転居するまで大岡に居住していたのか否か、なぜ上大岡を居住場所に選んだのかなどについての供述を拒否し、賃貸借契約の際の事情等を明らかにしなかった。

原告は、捜査官に対し、同年六月三日から取調終了に至るまで、原告がフランスに渡航するたびに世話になっていたというフランスに居住する友人の氏名、住所等や劉の連絡先、原告から劉に対する連絡方法を明らかにせず、劉とは、常に劉からの一方的な電話連絡の方法により、コペンハーゲン市内の特定の喫茶店で落ち合うことになっていたと供述した。

ウ 原告の××アパートの電話番号、Aの電話番号及び××マンションの電話番号は、いずれも設置した時点においてすべての電話機を国際電信電話株式会社(KDD)が国際ダイヤル化(利用者がKDDに電話機を登録し発呼者番号という固有番号を設置することによって、交換手を通さず直接外国の相手を呼び出すことができるようにすること)していたものの、××アパート及び××マンションの電話番号について、昭和六〇年六月五日から同六三年五月二五日までの間は、国際通話事実の該当はなく、Aの電話番号については、同六三年一月から三月までの間に、原告の友人である「しらせ」号乗組員から三回発せられた通話があるほかは、国際電話の発信及び受信の事実はなかった。

エ 原告が使用していた前記キャッシュカードの暗証番号のうち「一一二七」及び西武マリオンの音声伝言システムの暗証番号の前半の○を除く部分の「一一二七」については、よど号事件の犯人の田宮高麿の本籍地(新潟県新発田市大栄町七丁目一一二七番地)の番地と一致していた。

オ 原告は、昭和六三年六月八日の河野検事による写真面割りの際、当初示された一〇枚の写真には劉はいないと答えた。

河野検事は、これを確かめたうえ右写真の中にキムの写真を入れ忘れていたので、二回目に、一〇枚の写真を入れ換え、その中にキムの写真を含めて原告に示したところ、原告は、キムの写真を劉であると指し示し、写真では黒縁眼鏡を掛けているが、金縁の眼鏡を掛けていることもあったと供述した。

また、原告は、同年六月一三日の神奈川県警の捜査官による警察庁照会に添付したキム及び原告とされた写真の確認の際、キムの写真につき、この男性が劉であると説明し、原告の写真につき、この写真に写っている女性が原告であると説明したうえ、同写真中で原告が掛けていた眼鏡は、同月三月に、原告が任意提出した銀色メタルフレームメガネであると供述した。

カ 神奈川県警は、原告の手帳にメモされている防衛大学生、海上自衛隊員ら、海外旅行先で知り合った友人ら、C及びBなどの参考人を取調べ、原告の元稼働先の聞き込み調査や押収物の分析を継続すると共に、ボランティアグループ「七つの青い星たち」のメンバー、原告の手帳に記載のある大楠高校生Hの友人及びHに現役会の教材を販売した者を取調べたが、原告とよど号犯人の柴田との関係は判明せず、原告が第一回目の海外渡航をする以前に所属していたチュチュ思想勉強会の仲間であるD、Eの自宅を捜索したほか、海上自衛官で昭和六〇年ころからの原告の知り合いであり、原告がリーダーを務めるボランティア団体「七つの青い星たち」に所属し、原告の勤務する店に友人らを多数紹介する等していたF宅を捜索したが、本件被疑事実の動機を明らかにするような手掛かりは何も得られなかった。

キ 河野検事は、本件被疑事実について、原告が北朝鮮工作員の指示の下に本件犯行に及んだり、原告が偽名で賃借したアパートが現実に北朝鮮の工作活動に利用されたり、不法入国、不法滞在等違法な目的で利用されたりした事実が証拠上認められなかったこと、本件逮捕当時は原告が賃借して居住している住居の契約名義は本名に是正され、住所も現住所に異動届出がされていたことなどを考慮して、勾留満了日に、原告の勾留事実のうち、公正証書原本不実記載・同行使については罰金五万円の略式起訴とし、有印私文書偽造・同行使については処分保留のまま釈放した。

(3) 以上認定の事実に基づき、(2)の捜索・差押許可状の請求の違法性の有無につき判断する。

まず、原告宅及びAの各捜索・差押許可状の請求について検討する。

前記争いのない事実及び証拠(乙一三の一、二、一四の一、二、一六の一、二、一七の一、二)によれば、昭和六三年六月一〇日の原告宅及びAを捜索・差押場所とする請求は、前示同年五月三〇日の請求と被疑事実が同一で、差し押さえるべき物も名刺、ラジオ、アンテナ、キャッシュカードを除いて同一物が記載されており、これに基づき、別紙一の押収物一覧表の四、五記載の物が差押えられ、同年六月一三日の原告宅及びAを捜索・差押場所とする請求は、前示同年五月三〇日の請求と被疑事実が同一で、差し押えるべき物については、右六月一〇日の請求と書籍、パンフレットを除いて同一物が記載されており、これに基づき、原告宅からは別紙一の押収物一覧表の六記載の物が差押えられ、Aには、証拠物又は没収すべきものが存在しないとされたことが認められる。

証人首藤守の証言によると、六月一〇日の右請求は、原告が劉から数々の依頼を受けて実行したことを供述したが、押収品の分析の結果、原告のキャッシュカードの番号とよど号事件犯人の田宮高麿の本籍地番が一致していることが判明したのに、原告からこの点の供述が得られなかったので、捜索をして関係資料の押収の必要があると考え、同月一三日の捜索については、原告が、取調べに対し第一回目の海外渡航から帰国した翌日に偽名でアパート契約をしたことを認めたことから、本件犯行には北朝鮮関係者との繋がりがあることが強く疑われることから捜索をもう一度する必要があると考えたことが認められる。

一般的に、同一事実により同一場所につきほぼ同一の証拠物を差し押さえるべき物として再捜索ないし再々捜索する場合は、その捜索の必要性及び差し押さえるべき物がなお存在するという蓋然性は通常低くなるであろうし、本件において、再々捜索の結果、Aについては、差押えるべき物がなかったことからみても、右捜索の必要性につき疑問がないではない。しかしながら、証拠物の証拠価値、重要性が捜査の進展上得られた他の証拠資料との関係で変動し、既に同一証拠物について捜索が行われていたにしても、捜索漏れが生じることも否定できない。前記認定の捜査の経緯をも考慮すると、本件において、この段階でも、捜査に流動的な要素は含まれていたものであり、神奈川県警の捜査官が捜索・差押えの必要性があってなお証拠物が存在する蓋然性があるとした前記の判断には合理性が全く認められないとまではいえない。

次に、昭和六三年六月八日にされたD宅、E宅、国際電信電話株式会社の各捜索・差押許可状の請求について検討する。

証人首藤守の証言によると、神奈川県警の捜査官は、原告の実家捜索時に押収したEの原告宛て書簡(昭和五二年二月二四日消印)から、原告、D及びEは、社会主義理論の勉強会などを通じて親密な関わりを有していたこと及びEらは原告が学習していたチュチュ思想研究会と同種の研究会に所属していることから、D及びEが、原告の第一回目の海外渡航に影響を与え、その後も連絡を取り合ったり、本件の犯行に関わるような行為をしたのではないかと判断して、右捜索・差押許可状を請求したことが認められる。

前記認定の事実及び証拠(甲四八ないし五四、証人首藤守)によれば、右E書簡は、原告の信州での研修を励ます内容のもので、原告と一年間は会えないし電話でも話せないので是非会いたかったというものであるところ、原告は信州への研修を家族向けの口実にして第一回目の海外渡航に出発して所在不明になっており、この海外渡航の際に原告が接触したと供述する劉は、北朝鮮の連絡部員のキムであると目されていたこと、原告逮捕時の原告宅の捜索でチュチュ思想学習メモが発見されていたところ、神奈川県警の捜査の結果、Dは兵庫県尼崎市に居住する在日外国人で、Eは、大阪市生野区に居住し、大阪自主の会に所属する者であって、その妻は昭和五七年ころ自主の会第八次訪朝団で北朝鮮に渡航したこと等が判明しているのであり、これらのことからすれば、神奈川県警の捜査官が前記のように判断し、チュチュ思想学習会等を通じて原告と密接な関わりを有すると疑われるD宅及びE宅に、本件被疑事実について差し押さえるべき証拠物の存在する蓋然性があると判断したことは合理性があり、また、D宅及びE宅に存在すると見られた証拠物が本件犯行の動機、目的、背後関係を明らかにする証拠であるとしても、本件のように組織性が疑われる犯行においては、右証拠は重要なものであって、本件犯行の背後関係と繋がりを有すると目されていたD及びEからこれらの証拠物が任意に提出されることは期待できず、かつ、右証拠が存在した場合、これが破棄、隠匿される可能性も考えられるところであるから、捜索の必要性も認められ、この点でも右捜査官の判断は合理性を有するものである。

そこで、国際電信電話株式会社の捜索、差押許可状請求について検討する。

通信の秘密の保護も絶対的なものではなく、捜査の必要等公益上の要請との調和が図られるべきであるところ(刑訴法二二二条、一〇〇条)、前記認定の捜査の経緯のとおり、劉が原告と電話で連絡を取っていたとの原告の供述を裏付けるためには、原告の使用していた電話の発受信状況についての証拠を要するところ、証拠(甲五五ないし五七、証人首藤守)によれば、神奈川県警の捜査官は、捜査関係事項照会書を提示して国際電信電話株式会社横浜支店に照会したが回答を拒否されたので、本件令状を取得したうえ捜索して、前記認定の捜査結果が得られたものであって、同令状請求につき、証拠物が存在する蓋然性、捜索・差押えの必要性の要件のいずれも充たすことは明らかであり、右捜査官の判断は合理性を有するものである。

さらに、昭和六三年六月一二日にされたF宅の捜索・差押許可状請求につき検討する。

証人首藤守は、右令状請求当時、右Fが原告と親密に交際し、その原告及びFの供述から原告が劉に頼まれた名簿作りの手伝いをしていたことが疑われ、F宅に差し押えるべき物があると判断したと供述する。

前記一、二認定の捜査の経緯によれば、右令状請求時に、原告は、劉から名簿作りを頼まれていたと供述していたがFの関与を窺わせる部分はなく、Fの供述にも右事実に関する供述はない。かえって、昭和六三年六月一一日の原告の供述には、原告が劉に渡した最初の名簿である赤色手帳に記載された二〇名の人物の中に、Fの氏名や特徴も記載されていたとする部分がある(丙一二)。

しかしながら、証拠(甲七四、九四、一〇四)によればFは、海上自衛官として、原告とは昭和六〇年からの知り合いで付き合いが長く、原告と共にボランティア団体に所属していたほか、原告が××アパートで開催していたパーティにしばしば参加し、昭和六一年一二月に防衛庁横須賀クラブで行われたクリスマスパーティでは幹事を務め、その際配付されたAを会員制で開店しようという内容の案内パンフレットに発起人として名を連ねていたこと等が捜査官に判明していたことが認められ、そうすると、神奈川県警の捜査官が、Fが原告と個人的に相当密接なつながりを有し、本件被疑事実の証拠物を自宅に保管する立場にあるほど原告と接触を有していたものと判断したことは合理性がないとはいえない。原告の身柄拘束期間がほとんど終了に近づいたこの段階でも、原告の交遊関係について原告の供述が得られないので、F宅の捜索差押の必要性を認めたこともやむを得ないし、前記認定の本件被疑事件の内容等に照らすと、捜索・差押えによりFが被る不利益を上回るその必要性があったというべきである。

(三) 以上のとおり、本件の各捜索・差押許可状請求は各要件を全て具備しているものである。

3  証拠(乙三ないし一七の各一、二)によれば、本件各捜索・差押許可状の差し押さえるべき物の記載は、冒頭に「別紙被疑事実の要旨に関係ある」との限定が付され、右許可状には、本件被疑事実の要旨を記載した別紙が添付されており、これを合わせて判断すると、「別紙被疑事実の要旨に関係ある」以下に記載されている物も特定されていると認められる。

原告は、別紙「差し押さえるべき物の一覧表」には、被疑事実との関連性のないものが記載されているほか、その記載自体から本件捜索、差押えは原告が北朝鮮工作員と接触し、スパイとして活動していた事実を本件とした別件捜索、差押えであることが明らかであると主張する。

一般に、差押えは、証拠物又は没収すべきものと思料されるものについて行われることは、刑事訴訟法二二二条により準用される同法九九条一項に規定されるところであるが、犯罪捜査の過程においては、犯罪の構成要件に該当する事実の証拠のみならず、被疑者の罪質の軽重その他量刑の資料となる事実の証拠をも犯罪と関係のあるものとして収集すべきであり、特に北朝鮮諜報部員と接触を有する者がこれを援助するために本件犯行を敢行したと疑われる場合には、被疑事実との関連性も、その背後関係、共犯関係をも含めた事件の全貌を明確にする観点から、一般の単独犯行の場合に比べると、ある程度広範囲に認められるべき合理的根拠があるというべきであり、別紙「差し押さえるべき物の一覧表」の記載の中に、本件実行行為そのものを直接証明する物の記載といえない物(ラジオ、アンテナ等)も含まれているが、それらは、本件犯行の量刑に影響を与える事実を明らかにするうえにおいて関連性を有するものと認められるから、これらの記載をもって違法な別件捜索、差押えであるとする原告の主張は採用することができない。

4  証拠(丙九九ないし一〇六の各一ないし三)によれば、本件各任意提出書に提出者の署名押印がされているほか、押収品については直ちに押収品目録交付書が交付されていて、準抗告等の不服申立をするのに何ら不都合はないところ、丙一二七によると、本件各捜索、差押えについては、これに関する準抗告はいずれもされなかったことが認められるのであり、任意提出物についても提出の任意性を欠くと認めるに足りる証拠はない。

5  以上のとおり、本件捜索、差押えは、捜索・差押許可状請求に必要な要件を全て具備し、その差押目的物の記載自体特定性を有し、本件被疑事実との関連性も認められるから、本件各捜索、差押えは適法である。

6  原告が主張する無令状捜索について検討する。

原告は、本人尋問において、野田警部補が、昭和六三年五月二六日、原告の友人のBに差し入れ用の洗剤を買いに行かせたすきに原告宅押入れの中をあさっていたと右Bから聞いた旨供述するが、これを裏付けるに足りる証拠はなく、右供述に反する証人野田征勝の証言に照らすと、右供述は、にわかに採用することができず、他に原告の主張する事実を認めるに足りる証拠はない。

三  争点三について

原告は、本件各令状は、別件逮捕、勾留、別件捜索、差押えをする目的で、かつ、各令状発布の適法要件が欠けるのにもかかわらず、これが発布されたから違法であると主張するところ、令状発布の裁判も含め、およそ裁判官がその権限の行使として行う判断作用は、常に同一の結論に帰結することが保障される性格のものではないから、これを前提に上訴による救済の制度が設けられている(令状発布の場合は、逮捕状の場合を除き準抗告が認められており、逮捕状発布については準抗告はできないが勾留裁判の段階では逮捕の違法性を争うことができる。)のであって、ある判断がなされた後に、他の裁判官によって異なる判断が示されることがあったとしても、先の判断をそれだけで違法であると断ずることはできず、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したなどの特別の事情がない限り、その判断を違法ということはできない。原告は令状発布の裁判は行政的性格を有する判断作用であって争訟の裁判とは別異に解釈すべきであると主張するが、これは判断作用を伴う行為の内在的制約というべきであって、争訟に関するものに限定する合理的な理由はない。

したがって、本件各令状の発布が違法であると主張するためには、刑事訴訟法上の救済手段によって是正されるべき瑕疵が存在するだけでなく、前記のような特別の事情が存在することを主張・立証する必要があると解するのが相当であるところ、原告はかかる事情について何ら主張、立証しないし、本件の場合は、先に判断したことから明らかなように、本件各令状を発布する要件である犯罪の嫌疑のほか、逮捕、勾留の必要性や相当性、捜索、差押えにおける証拠物の存在する蓋然性や捜索、差押えの必要性も認められるから、刑事訴訟法上是正されるべき瑕疵もないというべきであり、かつ、右のような特別の事情も認められない。

なお勾留につき勾留場所を代用監獄としたことについても、裁判官がその判断につき裁量を逸脱したとする特別の事情も認められない。

よって、本件各令状の発布が違法であるとの主張は採用できない。

四  争点四について

1  代用監獄における身柄の拘束

原告が、昭和六三年五月二五日に逮捕され、同年六月一五日に釈放されるまでの二二日間、代用監獄において留置されたことは当事者間に争いがない。

原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は、捜査官の取調べに対し、重要な事項について供述を拒否し、誤った点は訂正を申し入れ、弁護人と相談したうえ、調書の作成、鑑定についての同意を決めていたほか、後記認定のとおり、捜査官から各種の配慮を得ていることが認められ、これらの事実に照らすと、原告が捜査官の取調べに際して物理的、心理的に依存させられ、あるいは心理的に追い込まれたと認めることは難しい。

2  取調べの場所の状況及び取調べの時間について

(一) 原告の取調室は、三畳ほどの窓のない部屋で、この中に、原告、原告の取調べをする検察官と立会事務官若しくは司法警察職員三名(取調担当官一名、立会い二名)の合計三ないし四名がおり、取調担当官用と立会い二名用の机各一台(計二台)及び椅子四脚があった(丙一〇八、原告本人、証人野田征勝)。

(二) 原告の取調べの時間については、その開始時刻は、概ね午前九時であり、その終了時刻は、夜一一時を超えるものが数回あるほか、概ね別紙各取調時間一覧表のとおりであると認められる(証人首藤守、原告本人、弁論の全趣旨)。

もっとも、原告は、本人尋問において、夜一二時まで取調べが行われたこともあったと供述するが、他方、時計等で確認したのではなく専ら原告の感覚によるものであることを供述しており、右時間の点の正確性には疑問があり、にわかに採用できない。

3  取調べ中の捜査官の配慮について

(一) 取調担当官の霧生巡査部長は、昭和六三年五月三〇日午前、原告の顔面に湿疹が出ていたことから、原告を警友病院で受診させている。その際、霧生巡査部長は、原告が取調中の被疑者ということで右病院に事前に連絡して特別に配慮してもらい、原告と一般の人が病院の通路で接触する可能性を考えて、医師が用意できたらすぐに入室できるように裏の通用口に車を入れて車中で待機したうえ、一般玄関ではなく右通用口から短時間で出入りをしたほか、手錠の上には布をかけて外見上はわからないようした。さらに、霧生巡査部長は、この日、原告の湿疹用に強い塗り薬と弱い塗り薬の二種類を貰ったが、原告は強い薬を塗ってしまい顔面が赤くなってきたので、取調途中で洗顔させて休憩とし、午後は弱い薬に塗りかえて良くなった(丙一〇七、証人霧生保)。

(二) 原告は、生理が始まった昭和六三年六月四日午後は取調べを中止してもらい休憩している(証人首藤守、原告本人)。

(三) 原告は、取調べ中、煙草を吸うため適宜休憩をすることができ、取調べ終了時にはお茶等の飲料を出してもらっていた(証人湯原昭夫、同高松瑞男、同野田征勝、同霧生保、同河野芳雄)。

4  次に、原告が主張する捜査官の原告に対する取調べの際の言動について検討する。

(一) 捜査官の取調べ態様一①イロ、二①イ及び捜査官が家から大変なものがたくさん出てきたぞと脅したことについて、捜査官が、前記認定のとおり、内偵捜査の段階で多数回に及ぶ海外渡航歴が認められた原告に対し、海外渡航の有無とそこでの生活状況を確認することは、原告の経歴として当然確認すべきものであって、これを取調べることは違法ではなく、さらに、右取調べにより作成された調書(丙二)には、原告が海外渡航中の原告の生活状況については供述を拒否する旨、韓国への渡航は否認する旨記載され、更に、原告から調書の読み聞け後の訂正も申し立てられていることが認められ、それらは、原告の応答のままであり、これらの事実からすると原告の供述は任意によるもので脅迫を加えた取調べが行われたと認めることはできない。

(二) 捜査官の取調べ態様一①ハホヘ、二①ロニは、身柄拘束中の被疑者に対し、早期釈放をすると約束し、又はこれを示唆して供述を要求するものと認められるところ、原告は、右発言の際の具体的状況や時期、原告が右約束の履行を期待して供述するに至ったものかどうかにつき、これを明らかにせず、また、後記のとおり、原告の供述には、任意性及び信用性が認められ、原告の右主張事実は認められない。

(三) 捜査官の取調べ態様一①ヌ、二①ヌは、前記一2で認定したとおり、捜査官は、原告の取調べ前に逮捕事実につき不動産会社の者を参考人として取調べて、原告が契約の際に保証人に電話をしたという供述を得ていたところ、原告は、不動産会社から保証人の確認はなかったと供述したので、このように供述の矛盾が見られる場合に、他の証拠との不一致を指摘して真実の供述を求めるのは、捜査官の取調べ方法として当然のことである。しかし、それでも原告は否定したことから、前記一4のとおり、原告の供述としては、不動産会社の者の供述とは異なる内容が調書に記載されたのであって、これらの事実からすると原告が主張するような脅しが行われたと認めることはできない。また、大韓航空機事件の質問に関しては、原告が同事件自体を知らないと答えたか、若しくは原告の答えが世間一般人が右事件について当時認識していたことすら知らないとするものであったかはともかく、当時世間を騒がせた公知の事実について捜査官が原告の供述に疑いを持つのは自然なことであって、これを問い質すのは不当とはいえない。

さらに、捜査官の取調べ態様一②ハ、二①ハ②ハは、原告の発言が虚偽であると指摘し、正直に話すように説得するものであるところ、右認定のように原告の供述内容が他の証拠と明らかに齟齬する場合は、供述の信用性を得るためにも、これを質す問を発するのは当然であり、また、原告が明らかに嘘の供述をしている時にこれを指摘するのは何ら不当な取調べではない。そして、原告は、捜査官の原告に対する右質問の内容等の状況を明らかにしないほか、右認定のとおり、他の証拠と異なる供述も原告がこれを維持する限り、捜査官はそのまま調書に記載しているし、後記のように、原告の供述には任意性及び信用性が認められ、原告の右主張事実は認められない。

(四) 捜査官の取調べ態様一①ニ②イロ、二②ロホについて

河野検事は、二②ロホの趣旨の発言をしていることを認め、証人河野芳雄の証言によると、これは、多数の人物を調査したものと認められる原告のメモにつき、このようなメモは多くの人に迷惑をかけることになることを判らなければいけないと原告を諭したものであることが認められる。確かに、右のとおりであれば、この検事の発言は原告に反省を促してこれを抑止するか、真実を述べさせる契機となるものであって、これをもって直ちに自白の強要とは認められない。一①ニ②イロについても状況により右発言があったか否か、それが原告に対する強要となるか否かは異なるものといえる。しかし、原告は、右各発言の際の状況を何ら明らかにしないので、右発言のみをもって、原告に対する脅し、罵声と認めることはできない。

(五) 捜査官の取調べ態様一①チリ②ニホ、二①ホヘト②ニは、原告を北朝鮮のスパイと疑ってなされた発言と見られるが、原告は本件の背後事情に関する取調状況について、本訴でもその具体的なところは明らかにせず、右発言の具体的状況や時期を認めるに足りる証拠もない。

(六) 捜査官の取調べ態様1①ト③イについて

前記一のように、本件被疑事実は、原告の賃貸借契約が海外渡航から帰国した直後に行われていること、Aの開業資金の出所が不明朗であること等から、原告を援助する組織的な背景の存在が疑われるところ、一①トの野田警部補の発言は、これを尋ねるものと認められ、原告本人も野田警部補は怒鳴ったりしないで優しい言葉をかけた人だったと供述していることからすると、同警部補が脅す態様で発言したとも認められない。また、一①トの発言と同趣旨の質問の際にされたと原告本人が供述する一③イは、これを否定する証人高松瑞男の証言及び後記の原告の右高松に対する手紙及び原告の供述に任意性、信用性が認められることからすれば、原告の右主張は認められない。

(七) 捜査官の取調べ態様のうち一②チ、二②ヘは、取調べの際の注意と認められるのであって、これを超えて、原告の意思を圧迫する態様の取調べが行われたと認めるに足りる証拠はない。また、同一③ホ、二③は、前記一2で認定したとおり、原告は、未婚ではあるが男性と同棲していたから、捜査上必要な質問事項であると認められ、これを超えて原告を凌辱し、嫌がらせをするような態様でなされたものと認めるに足りる証拠はない。

(八) 捜査官の取調べ態様のうち一④イロハニ⑤ニ、二⑤ロについて、原告は、恩売り、泣き落としであると主張するが、差し入れ等の便宜をはかって外部との連絡を取ったり、食事につき配慮したりすることは取調べ中に必要な配慮であって何ら違法ではない。これを超えて、特別な食事の便宜をはかったりすることは、現実の利益供与としてこれにより得られた供述が任意性を欠くとされることはある。しかし、原告が釈放の半年後に作成したとする甲一五三の一、二及び原告本人の供述によっても、原告が警察官から与えられた食べ物は、レモン、トマト、苺のショートケーキ程度であり、与えられた時期で明確なのは、レモンが釈放当日、ケーキが釈放日前日であって、いずれも既に捜査官が原告に釈放を知らせた後であり、このような処遇は適当な処遇とはいえないにしても、その時期からみて、これにより原告が利益誘導されて供述をしたものとは考えられず供述の任意性を欠くものではなく、違法な取調べ態様とも認められない。

捜査官の取調べ態様のうち二①チリは、原告の主張自体においても、違法、不当なものとはいえない。また、同一④ホ、二④については、そもそも、原告に対する起訴、不起訴の決定権は、河野検事にあって野田警部補にはないことは明白なことであって、検事が右発言をしたというのはそれ自体不合理であるし、釈放を告げた上で誰が配慮したかを明らかにして恩を売ること自体も意味はなく、警察官と検察官が同じ発言をしているとするのも不自然であり、原告の右主張事実は認められない。

(九) 捜査官の取調べ態様のうち一⑦イロハニは、釈放の前日と当日にこのような発言があったことを認めるに足りる証拠はないし、そもそもこのような発言があったとしても、取調べ態様が違法性を帯びるとは考えられない。

(一〇) 捜査官の取調べ態様のうち一⑤イロハホヘト、二⑤イについては、原告は、泣き落としとして主張しているが、その主張内容からみて、これらの発言は、原告を説得するための発言や捜査官の愚痴と認められるものであって、原告を泣き落とす意図があったと認めるに足りる証拠はない。

5  捜査官が原告と母親との面会を利用して供述を得たとする原告の主張(前後の捜査官の発言である捜査官の取調態様一⑤チ⑥、二⑥を含む。)について検討する。

(一) 前記一認定の事実及び証拠(甲一五、二八、一五三の一、二、乙三五、丙九、五四、六四、証人河野、野田、原告本人)によれば、原告とその母親との面会の経過及び前後の状況につき、以下の事実が認められる。

(1) 神奈川県警は、昭和六三年五月二五日、同月三〇日の二回にわたり取調官を兵庫県まで出張させて原告の母親を取調べた。しかし、河野検事は、自ら直接原告の母親を取り調べるべく、原告の母親に対し横浜まで出頭して欲しいと交渉したところ、原告との面会を条件にして了解を得たので、原告の勾留の際に付された接見禁止処分の一部解除(昭和六三年六月一日午後一時から同八時までの間一五〇分、横浜水上警察署において原告の母親に接見を許可する。)を横浜地方裁判所に求めて、その許可を得た。野田警部補は、右面会が決定した経緯については知らず、原告も母親との面会を希望したことはなかった。原告は、取調べ中に高松警部補から、原告の母親が倒れたことを教えられ、原告のような親不幸者はいないと諭された。

(2) 野田警部補らは、面会日の午前中に、原告がコペンハーゲンでキムと接触していたという情報に関する原告の写真を示して、写真の女性が原告であるか否かを確認したが、原告はこれを否定した後、黙秘した。なお、この写真は、原告の母親に対しても示され、原告の母親は原告が横向きで写っている写真については、原告ではないと否定した。

原告は、その後、河野検事から「お母さんは心配のあまり寝込んだことがあったようだが、君に会いに来るようなので、もう大丈夫だよ。」と告げられて、接見時間内に接見室で一回面接した。さらに、河野検事は、母親から面会時間が短いと苦情を言われ、許可された時間の範囲内であるから良いと思い、接見時間外である午後八時一〇分から同九時一〇分までの間、会議室を仕切りで区切った場所で河野検事及び野田警部補立会いの下、二回目の面会をさせた。右面会の際、原告は母親の健康を気づかい、母親は涙ぐみながら、原告に対し、「貴方のことを信じている、貴方の容疑を晴らすために、コペンハーゲンで会った人の名前を言いなさい。」などと言った。

(3) 原告は、右面会の翌日、野田警部補の取調べに対し、面会日に示された写真の女性は自分であることを認め、コペンハーゲンで出会った劉について供述した。右野田が調書を作成しようとしたところ、原告は、調書にするのは一晩考えさせて欲しいと言い、同月三日、劉について原告が語った内容の調書が作成されて、原告はこれに署名指印した。

(4) 前記二(二)で認定した勾留延長後の原告の供述の内容は、原告の代理人弁護士(現在辞任)が、原告釈放の一か月後に、原告及び捜査段階の原告代理人から取材した内容をもとに作成し、原告釈放の二カ月後に雑誌に掲載された内容と概ね一致している。

(二) 以上認定の事実及び前記一、二認定の事実に基づき判断する。

被疑者の勾留に接見禁止が付されている場合に、検察官の裁量で被疑者の自白と交換条件に接見禁止解除をするなど、接見を恩恵的に利用することは許されない。ところで、本件では、検察官の裁量で接見時間外に及んで原告と母との面会を許しているが、原告と母親との面会前に、捜査官が原告に対し、母親との面会と交換に自白を迫った事実はなく、また、原告の母親の発言は、捜査官からコペンハーゲンで原告を写したという写真を示され、これは原告ではないと否定した上で、原告に対し、容疑を晴らすために話すべきことがあるなら話しなさいと言う趣旨のものであって、捜査官の指示により、原告が捜査官の言いなりになるように訴えるものではない。

原告は、右母親の言葉を受けて、捜査官に対し劉のことを話し、調書にするのを熟考したうえで、同月三日の調書の読み聞け後、これに署名指印しており、それ以後に原告が捜査官に供述した内容は、原告が自分の弁護士に語った内容と概ね一致している。他方、原告は、その後も供述を拒否したり、第一回目の海外渡航から帰国した後の居住場所について、賃貸借契約書を示されるまで虚偽の事実を供述し続けていたのであって、原告が自暴自棄になって、捜査官のいいなりになったとも認められない。

以上の事実を総合すると、捜査官が原告と母親との面会を利用して供述を得たこと及びこれを前提とする原告の捜査官の取調べ態様に関する主張事実も認められない。

6  写真面割りの際の検察官の原告に対する誘導の有無について検討する。

原告は、昭和六三年六月八日の写真面割りの際、河野検事から、キムの写真を含まない一〇枚の写真を示されて、劉はいないと答え、二回目にキムの写真を含めた一〇枚の写真を示されて、キムの写真を劉であると指し示した(前記二(二)で認定した事実)。

原告は、本人尋問において、河野検事は、一枚入れるのを忘れたと言いながら面割り写真を再度並べ、対照用写真は一回目に示された写真と同じで、キムの写真は、写真自体の質が異なり身分証明書用のもので一目で他の写真と違うものであって、検事がこれを示すよう示唆しており、これを認めると早く出られると思ったから選んだと供述する。そして、面割りに当たり作成された原告の検面調書(乙二〇)には、二度の面割りをした事実やその経緯は記載されておらず、面割りの経過は明らかでない。

しかしながら、原告は、検事が写真を入れ忘れたのは二度目の面割りで写真を並べる際に言われて分かったとするのであって、原告が捜査官の誘導に乗って早く身柄拘束を解かれたいと切羽詰まった心境であったのなら、むしろ、一度目の面割りの際に、いずれかの写真を選んでしまうであろうと推認される。このことと、乙三二及び証人河野芳雄の証言に照らすと、原告の右供述は直ちに信用できない。よって、原告の右主張事実は認められない。

7  原告は捜査官の脅し役なだめ役の役割分担による誘導的な取調べを受けて捜査官のいうままに供述をしたとする原告の主張(捜査官の取調べ態様一②ヘト、二②イ及び検察官において原告の顔写真を原告と認めろと威迫したこと、罵声、机を叩くなどの事実があったか等の脅迫的言質の有無の検討を含む。)について検討する。

まず、原告は、釈放当日、略式起訴に同意して罰金刑の言渡しを受けており(争いのない事実)、刑事手続において何ら供述の任意性を争っていないことは弁論の全趣旨から明らかであって、この事実は、原告の捜査官に対する供述が任意にされたものであることを強く推認させるものである。

そして、原告本人尋問の結果によると、原告には、逮捕直後から弁護人が選任されていて、身柄拘束期間中に弁護人と七回接見していること、右弁護人は、接見の際に、原告の体調、取り調べの内容等を確認し、捜査官が無理に認めさせようと色々なことを聞いてきても違うことは違うと答えて良いこと等を説明したほか、原告がいつ出られるかと聞いた質問に対して勾留期限の説明をしており、原告は、右弁護士に対して取調官から脅迫や不当な誘導を受けていることなどは訴えていないことが認められる。もっとも、原告は、本人尋問において、捜査官から脅迫されていることを弁護士に対して話さなかったのは、それだけの精神的余裕がなかったからであると供述するが、前記一、二で認定したように、原告は、逮捕当日の取調べの際、供述調書について訂正の申立てを行い、あるいは、筆跡鑑定の同意の際は、弁護人の助言を受けた上で同意するとして、一旦同意を保留したほか、取調べにおいても終始話したくない事項については話したくないと明確に供述を拒否していることからすれば、原告の右供述はにわかに採用できない。

さらに、原告の供述の内容についても、それ自体詳細で、取調官が創作できる範囲を超えており、これらが全て誘導に基づくものとは考え難いこと、原告宅から押収されたドル紙幣や手帳などその裏付けとなる証拠が存在すること、原告が劉に言われて最初に友人らの名前等を記した手帳の色は、警察官の調べでは、青色であると供述していたのを、検察官に対しては、赤色であると供述し、その後、警察官に対しても、手帳の色は赤色であったと訂正しており、検察官が罵声を用いて怒鳴り散らすだけの取調べ態様では、右のような経過はなかったのではないかと考えられること、前記のとおり、原告の元代理人弁護士が作成した雑誌記事は、劉との関係、劉から依頼された事柄等を始めとして相当な部分が、原告の供述調書の内容と概ね一致していること、河野検事は、原告が北朝鮮労働党連絡部所属のキムが行っていたスパイ活動に関与していたという疑いのもとに、被疑者である原告の取調べの際、「劉の本名はキムではないのか」、「劉の国籍は北朝鮮ではないのか」、「乙川春子という偽名を使用することは劉の指示によるものではないのか」、「チュチェ思想について劉から教育を受けたのではないのか」などと追求した(証人河野芳雄、原告本人尋問、乙三二、三五)ものの、原告はこれらの事項を否定し、原告が供述するままの内容が供述調書とされていること、右追及の際に、原告が捜査官の取調べ態様として主張する右事実があったか否かを判断するには、原告の指摘事項と捜査官に対する原告の供述内容との関連性を明らかにすることが必要不可欠であるところ、原告は、本人尋問において、捜査段階の原告の供述内容に関連する質問に対しては供述を拒否していることが認められる。

以上の事実を総合すると、原告の供述には、自発性ないし任意性が十分認められ、捜査官が、原告の主張するような誘導的、脅迫的な取調べを行って、原告に強制自白させたものとは認められない。

8  書簡及び釈放後の尾行に関する原告の主張について(捜査官の取調べ態様のうち一③ロハニ⑧を含む。)検討する。

原告は、本人尋問において、釈放日の前日に釈放を知らされて、その際、野田警部補に①世話になった礼②劉との関係を切る③年月日と署名指印の三つの項目を入れて手紙を書くことを指示され、言い回しは違うが同じ内容の誓約書を書いたと供述するが、証拠(丙一一〇、一一一)によれば、原告の手紙は、封筒の表に捜査官の個人名が記載され、裏は白地で封緘部分に朱で指印があり、便箋は横書きで、末尾に年月日及び甲野の署名があるが、署名の末尾に指印はなく、封緘部分の指印を除いては通常の手紙と同様の形式であり、その内容も、高松刑事宛のものは、肝臓が悪いから煙草を吸いすぎないように、水虫には早く薬を付けてひどくならないようにして下さい、本当にありがとうございました等と、霧生刑事宛のものについては、原告の手錠を強くかけなかったかと心配してくれたり、トイレや煙草や食事のことまで気を使って聞いてくれてありがとう、試験の合格おめでとうございます、これからもその暖かい心で仕事に励んで下さい等と記載されていることが認められる。右記載内容は個々別々で原告が自発的に記載したことが窺われ、また、証人野田征勝の証言によると、野田警部補らは、右手紙を封緘した状態で捜査官が個々に受け取っているとするところ、右証言は右の手紙が封緘されていることと合致しており、このように、手紙を書いた時期、形式、内容、渡した方法等からみて、原告が誓約書とするものは、個人的な手紙として捜査官各人に宛てて書かれたものであると認められる。

そして、この手紙に原告自身が書いた内容からすれば、原告の主張する捜査官の取調態様のうち一③ロハニ⑧はいずれも認められない。

次に、釈放後の尾行の有無について検討するに、証人野田征勝は、野田警部補が、釈放後原告から電話で相談を受け、原告のアパート捜しを手伝った際、昼御飯を原告の分も払ったが原告を尾行した事実はないと供述し、証人霧生保は、霧生巡査部長も野田警部補から頼まれて原告が帰宅するに際し報道陣に囲まれないように横須賀中央駅まで荷物を持って送ったことがあるが尾行はしていないと供述するが、原告本人尋問の結果によれば、原告につき釈放後一か月以上、家族旅行にまで警察官が尾行してきており、尾行は原告に対し明確になる方法で行われたもので公然の尾行というべきものであることが認められ、その尾行内容に関する供述は詳細なものであり、また乙三五によれば、原告が釈放後の記者会見をした数日後、弁護士が原告にホテルで会って事情を聞いて帰る際、警察の尾行がいることに気づいたことが認められる。

ところで、警察法二条一項の趣旨に照らすと、警察官は合理的必要性があれば犯罪の発生の予防及び鎮圧に備えて必要な範囲内で張り込み、尾行などの監視警戒行為をなすことができると解されるところ、原告の身柄拘束中に明らかになった前記一、二で認定した事実(原告が、北朝鮮工作員のキムと接触していたこと、よど号犯人と何らかの関係を有する者から高校生の氏名等をキムに伝言するように頼まれていること)及び別紙新聞記事一覧表記載の新聞記事によれば、本件当時は、九月開催のソウルオリンピックを控え、北朝鮮関係者によるテロ行為が危惧される状況にあったこと、これに加え、原告は、釈放後野田警部補にアパート捜しを手伝ってもらい食事を奢られたことを認め、霧生巡査部長にもサラダを御馳走になったことがある等と供述しており、このことから捜査官らの尾行時の態様は、原告の自由な行動を制約するような態様ではないと推認できるのであり、尾行の期間も一か月余り程度のものであることが認められ、これらの事情を考慮すると、原告に対する釈放後の尾行は、違法であると断定することはできない。

9 以上によると、原告に対し、やや狭溢な取調室で、複数の取調官の関与の下、相当長時間かつ夜間にわたる連日の取調べが行われていたことは認められるが、一方、逮捕、勾留手続を進め、あるいは起訴、不起訴を決するための時間的制約その他捜査の迅速性の要求から、取調べが深夜にわたるのもある程度やむを得ないことであり、本件被疑事実に関しては原告に対する確認事項は多岐にわたるもので長時間の取調べがやむを得ない事情があると認められるほか、取調べに際しては休憩を取る等の必要な配慮がなされており、取調官の原告に対する取調べ状況において、別紙捜査官の取調べ態様に記載されているような事実はいずれも認められないものであって、原告の供述には任意性があるものと認められ、結局、原告に対する本件被疑事実についての捜査官の取調べの方法及び態様には、違法性は認められないものというべきである。

五  争点五について

1  神奈川県警から提供された情報

前記争いのない事実及び証拠(甲一の一、二、五、六、二の一ないし三及び六ないし八、三の一、二及び四ないし九、四の一ないし一一、五の一ないし七、一四五ないし一五二、丙九七、一一二、一一六、一二三ないし一二五、証人増田誠次、同塩川実喜夫、弁論の全趣旨)を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 神奈川県警外事課は、原告の強制捜査の着手に当たり、北朝鮮工作員による大韓航空機爆破事件の発生、よど号犯の国内潜入事件の発生、北朝鮮工作員らによる同年秋開催予定のソウルオリンピックの妨害工作の危惧等の当時の社会状況から、原告の捜査に関する情報が漏れると報道合戦になって捜査に支障を来すため、本件被疑事件について広報はせず取材を受けてもノーコメントの方針を取ることとし、捜査員に対しても取材を受けないよう、また受けた場合は報告するように指示した。

本件被疑事件については、塩川外事課長が奥村警備部長に対し、ほぼ連日一〇ないし二〇分程度にわたり捜査の概略を口頭で報告しており、原告が北朝鮮工作員と目されるキムと接触していたこと、原告がよど号事件犯人の生年月日や本籍地との共通性が見られる数字をキャッシュカードの暗証番号としていたこと等は、捜査の主要部分として報告されていた。また、外事課長代理は、当時、外事課の広報担当者であり、広報事項及びその内容を外事課長と協議して警備部長の決裁を受けており、奥村警備部長ないし塩川外事課長から菊岡本部長に対して本件被疑事件の捜査状況及び捜査に関する報道対応の状況の報告がされていた。

(二) 原告に関する一連の新聞報道の第一報は、別紙新聞記事一覧表の朝日新聞の記事1(昭和六三年六月四日朝刊。以下、記事については、「朝日記事1」のように表記する。)で、その内容は、①北朝鮮工作員と見られる男性(五〇)と日本人女性がデンマークで接触した、②右男性はよど号事件の犯人グループと国外で会っていた形跡があり、デンマークで柴田以外のよど号犯人と会っていたとの情報がある、③右女性は、よど号グループの連絡係か国内支援者の可能性があり、北朝鮮工作員の協力者だったとも見られている、④右女性は、横須賀市在住のスナック経営A子(三二)で、昭和五九年一二月から四年半の間に成田からソウル、シンガポールに出国したり、モスクワから成田に入国する等六回の渡航歴がある、⑤A子は、昨年一〇月に横須賀にスナックを開店する際、保証金等二〇〇万円を一括して現金で支払っており、公安当局はこの金の出所についても調べている、⑥スナックの客筋には横須賀に基地がある米軍関係者も含まれており、米軍情報を探っていた疑いがある、⑦A子は、公正証書原本不実記載の疑いで神奈川県警に逮捕されたが逮捕容疑(現住居を借りる際、別の中年男性の名義で賃貸借契約をしたが、実際の居住者がこの中年男性ではなくA子であった。)を含め完全に黙秘している、というものであった。

右記事は、朝日新聞東京本社社会部次長兼警視庁記者クラブの田村正人記者(キャップ)が、同六三年五月二六日ころ、よど号事件犯人の柴田逮捕の事件を取材していた折りに、警察庁幹部から、北朝鮮の工作員に関連して神奈川県警が女性を逮捕したこと、この女性は柴田と関係があるらしいとの情報を得、この情報を確認するため、同東京本社社会部の記者らが、公安調査庁幹部、警察庁、警視庁等を取材し、また朝日新聞独自の調査により原告の渡航歴情報を入手し、さらに朝日新聞社横浜支局神奈川県警記者クラブの鈴木啓一記者(キャップ)が、横浜地検及び神奈川県警に取材をし、右情報に該当する女性が神奈川県横浜水上警察署に逮捕されて勾留されているという情報を得、同支局の五十嵐道子記者が、女性の周辺取材をして住民票を確認し原告にAの店舗を貸した者を取材するなどした上で、東京本社社会部にて、これら情報を総合し、主に公安調査庁から得た情報に則して作成したものである。

読売新聞社は、朝日記事1の配信に先立ち、大阪社会部が兵庫県警察から、よど号事件犯人の柴田のメモに書かれていた神奈川県内のスナック経営の女性が神奈川県警に逮捕されており、この女性は北朝鮮工作員と接触しているようだとの情報を得、これを確認するため読売新聞社横浜支局神奈川県警記者クラブの柿谷日出男記者(キャップ)らにおいて、神奈川県警警備部幹部(部長、課長、課長代理をいう。)と同県南部の警察署の幹部に取材をしていたが、右事実は確認できず、また、毎日新聞社横浜支局も、同年六月三日の時点で神奈川県警警備部に女性が逮捕されているとの情報を得、神奈川県警で何らかの動きがあることは分かったが、それ以上の具体的なことは分からず、産業経済新聞(以下「産経新聞」という。)社横浜支局及び中日新聞社横浜支局は何も知らずに、朝日新聞に抜かれる結果となった。

(三) 朝日記事1の配信後の同日早朝、柿谷記者、毎日新聞社横浜支局神奈川県警担当の丸山雅也記者(サブキャップ)、中日新聞社横浜支局神奈川県警グループキャップの鈴木賀津彦記者らは、神奈川県警幹部らの自宅に行き取材をした。柿谷記者は、神奈川県警の奥村警備部長と塩川外事課長に対し取材をしたが、ノーコメント、待ってくれと対応され、丸山記者は、朝日記事1を見せて、警備部幹部に対し一〇分ほど取材をしたが、逮捕容疑が、公正証書原本不実記載ではなく有印私文書偽造という容疑であると訂正されたほかは、朝日記事1を否定するわけではないが、それが正しいと積極的に肯定する応答はなく、鈴木賀津彦記者は、神奈川県警幹部に対し、朝日記事1とこれに基づくメモに沿って、公正証書原本不実記載について公正証書は営業許可申請のようなものか、別の男性の名前を使ったのか等と質問したのに対しては、そのようなものだと答えるなど、いずれも記者の仕向けた質問に対し、明確な対応をしなかった。その後、産経新聞社横浜支局の井口文彦記者らも取材に加わった。

神奈川県警は、幹部らが報道各社から朝日記事1について取材を受けたため、同年六月四日、原告の本件被疑事件につき構成要件の骨格部分等最小限の事項のみ公表することとし、奥村警備部長の了解を得て、前記第二の二の3(二)に記載のとおり説明した。報道各社の記者らは、右発表にかかわらず個別取材を続けたが、神奈川県警幹部らの中には朝日記事1を否定する者はおらず、原告は完全に黙秘している状態であるということであり、毎日新聞社の丸山記者は、同新聞東京本社に連絡して得た北朝鮮工作員の役割等の情報を神奈川県警幹部に確認しようとしたが、認める認めないが入り乱れる状態であった。

報道各社の記者は、神奈川県警における取材状況と、既に有していた情報や各東京本社記者らが警察庁や警視庁等を取材して得た情報を総合して、読売記事1、毎日記事1、産経記事1、東京記事1の原稿を作成して送付し、これらは各本社整理部等で見出しを付けた後に配信された。同記者らは、この後、原告が釈放されるころまで、朝と夜は神奈川県警幹部らの自宅へ、昼間は神奈川県警本部等へ詰めて連日取材を行った。

(四) 中日新聞社の鈴木記者は、同月四日の昼過ぎに、神奈川県警幹部から朝日記事1のA子の氏名と住所を聞き出して、横須賀市に記者を数名派遣して取材させたほか、同日、神奈川県警幹部宅を複数夜回りして、東京記事2の情報の要旨アイの情報(以下、情報の要旨については「東京記事2のアイ」のように表記する。)を得て、同月五日、東京記事2を配信した。また、右鈴木記者は、横須賀市における取材で、原告は客が帰った後一人でカラオケをすることがあり、それが秘密の連絡の偽造工作かもしれないとの情報を得て、神奈川県警幹部に取材したところ、原告が工作員から人に知られないような連絡方法を取れとの指示を受けており海外の人と連絡を取るときには人に知られないような様々な工夫をしていたらしいとの情報を得て、同日、東京記事3を地方版として配信した(ただし、神奈川県警の見方として右情報を報道したのではなく、地元のマージャン店の話として報道している。)。

毎日新聞社は、朝日記事1の配信の後、横須賀市に記者らを派遣し、神戸支局には原告の父の取材を頼む等、原告の周辺を取材して得られた情報と、朝日記事1配信後の取材結果とを合わせて、毎日記事2を配信し、読売新聞社は、警視庁公安部、公安調査庁を取材して、警視庁公安部担当記者が読売記事2を作成して配信した。産経新聞社は、支局と本社で区割りせずに、本社記者も原告宅やA周辺等の現地取材をし、支局記者も現地及び神奈川県警を取材して合作で産経記事2を配信し、地方版として産経記事3を配信した。

(五) 中日新聞社の鈴木記者らは、同年六月四日の夜から翌日にかけて神奈川県警幹部宅を複数取材し東京記事4に関する情報を入手し、東京記事4を配信した。これは、①原告がヨーロッパに渡航した際に柴田と肩を並べて写したカラー写真を神奈川県警が入手している、②原告は正規パスポート以外に偽造とみられるパスポートを所持している、③大韓航空機事件で逮捕されている金賢姫の日本人化教育係とされる「李恩恵(リ・ウネ)」の身元調査で原告の存在が浮かんだ、を主たる内容とするものである。

この東京記事4の配信後の同月六日午前九時前ころ、増田外事課長代理は、柿谷記者から、電話で、東京記事4は事実なのかと質問され、ノーコメントであると応答すると、同記者から、「いつも言えない、知らないでは困る、あったかなかったか位は教えてもよいのではないか、我々としても支局の立場があることを理解すべきである。」などと苦情を言われた。塩川外事課長は、同日、執務室において、報道各社の記者に対し、コメントしなければ後追いで記事にするのかと問いかけてみると、記者らはそうだと答えたので、同記者らに対し、東京記事4について、柴田と原告が会ったことを写真では確認できていない、偽造旅券についても確認できていない、乱数表はない旨説明した。

ところが、翌七日、東京記事4の後追い記事である産経記事4が出たので、塩川外事課長は、産経新聞の記者に対し、「事件の主管課長が明確に否定のコメントを出しているのになぜあんな記事を書くのか、私を信用できないのか。」と注意すると、同記者は、「本社に外事課長のコメントをそのとおり送ったが、本社の方で記事にしてしまった。」と答えた。

右同日、読売新聞社の中村記者が神奈川県警幹部及び複数の公安当局を取材したうえ読売記事3を配信し、毎日新聞社の千々部記者(キャップ)が神奈川県警警備部幹部及び外事課幹部を取材して毎日記事3のエの情報を得て毎日記事3を配信した(ただし、記事の文面は、北朝鮮工作員からの指示を受けて撮影した写真ということではなく、単に、神奈川県警が写真を押収しその分析を急いでいるとしている。)。

(六) 朝日新聞社は、同月七日ころ、田村記者が警察庁幹部から原告の自宅に乱数表があったという情報、警察庁幹部及び公安調査庁幹部から原告の自宅にドル紙幣があったという情報をそれぞれ得、横浜支局鈴木記者が横浜地検及び神奈川県警を取材し、乱数表については、訳のわからない数字が並んでいるものが押収された旨の情報を得て(朝日記事2のア)、ドル札について(同記事のイウエ)の取材結果は証拠からは不明であるが、同月八日に朝日記事2を配信した。このころ、田村記者は、警察庁幹部及び公安調査庁の幹部から、原告は少なくとも四つ五つ以上の銀行の口座を持っていて、その暗証番号が、よど号事件犯人の田宮高麿と柴田の本籍地や生年月日と合致しているとの情報を得て、この情報を確認するために、本社記者を通じて警視庁等の取材に当たり、鈴木啓一記者が横浜地検、神奈川県警の取材に当たったところ、右取材によって、朝日記事3のアイウエの情報の提供を受け、これらの情報を総合して、同月一四日、朝日記事3が配信された。

毎日新聞社は、横須賀市の現地取材と千々部記者の神奈川県警に対する取材により、同月八日に毎日記事4を、同月一一日に毎日記事5をそれぞれ配信した。毎日記事5の取材過程で千々部記者は、神奈川県警から、原告とよど号事件犯人の柴田とは、同一の上部組織の指令によりボランティア団体を工作員活動のカモフラージュにしていた疑いがあること、その根拠として、原告の住所録に柴田の住所録の内容と共通する部分があること、原告が開設している銀行口座の暗証番号によど号事件犯人の田宮高麿の生年月日が使われている等の情報(毎日記事5のアイ)を得た(ただし、報道されたのは、同記事5のアのみである。)。

産経新聞社は、東京本社の記者らと横浜支局の井口記者の双方が神奈川県警を取材し、井口記者が神奈川県警幹部及び同県警捜査員から産経記事5のアイの情報及び産経記者6のアイウの情報を得、東京本社の記者が「Aスリー」というラジオの固有名詞の情報を得、これらの結果を合わせて、同月一〇日に産経記事5、同月一二日に産経記事6をそれぞれ配信した。

中日新聞社は、横須賀市周辺の取材、鈴木記者が神奈川県警幹部から情報提供を受けた東京記事5のアイウ、また、鈴木記者が他紙で取り上げられていた原告のボランティア活動に関する事実の確認をした際、神奈川県警幹部から東京記事5のエの情報提供を受け、これらの取材結果を総合して、同月一四日に東京記事5を配信した。

一方、神奈川県警の菊岡本部長は、同月九日の定例本部長記者会見の席上、記者からの「某当局では乱数表があると言っているがどうか。」という質問に対して、「乱数表の存在は聞いていない。」と回答した。

(七) 奥村警備部長は、原告の渡航歴に関する取材が重なったので塩川外事課長に予め連絡をした上、同月一四日ころ、神奈川県警記者クラブ常駐各社のキャップを集めて前記第二の二の3(二)記載の説明をした。同警備部長は、その際、原告が最初の海外渡航時の七年間の生活ぶりについて欧州各国でアルバイトをしていたと供述したが詳しいことを明らかにしないこと、右渡航の際には、原告が海外に出掛けることを家族に知らせず、友人に日本国内から手紙を投函してもらって、日本に原告がいるかのように装っていたこと(朝日記事4のウ)、原告が右渡航の数年後に海外で元気でいると親元に連絡をしたほかは手紙も出さなかったこと等の海外渡航にまつわる情報を明らかにした。

右情報に基づき、朝日新聞社の鈴木記者が朝日記事4を、千々部記者が毎日記事6をそれぞれ作成し、柿谷記者は、右情報に横浜水上警察署での取材結果及び横須賀市の現地取材から判明した事実も加えて読売記事4を、中日新聞社の鈴木記者は、右情報と本社社会部の警察庁警備局の取材から判明した事実を整理して東京記事6を、産経新聞横浜支局は産経記事7をそれぞれ作成して、各配信した。

(八) 原告は、同月一五日、勾留期間が満了し釈放されたが、その際、塩川外事課長は、記者らから処分内容の取材を受けて、第二の二の3(二)記載の説明をした。読売新聞社は、右説明を受けて読売記事5を、柿谷記者が原告の本件被疑事件の取材に当たって得た情報を総合して作成した地方版の読売記事6をそれぞれ配信した。

なお、柿谷記者は、神奈川県警警備部幹部に対し、他紙の報道がある度に乱数表、無線機、偽造パスポート等があるのかを確認していたが、そういう事実は絶対にないと言われていたことから、取材で知り得た情報をできるだけ明確にするため、読売記事6には、原告がスパイであることを示す物証は押収されていないことを明記した(読売記事6のイ)。

中日新聞社の鈴木記者は、右説明に加え、神奈川県警幹部に押収物の取材をした際に得ていた東京記事7のア及び神奈川県警警備部幹部に取材して得た同イを加えて東京記事7を作成し、同社はこれを配信した。

毎日新聞社は、右説明を受けた毎日記事7及び従前の経過等を総合した毎日記事8を配信し、産経新聞もこれまでの情報を総合して産経記事8を配信した。

2  情報提供についての検討

(一) 報道各社の記者らが神奈川県警幹部から情報提供を受けたとするもののうち、朝日記事1の配信後の各社記事1作成時の情報提供については、甲一四六によれば、読売新聞社の柿谷記者が、別件訴訟の証人として、神奈川県警幹部からは、争いのない事実以外には何の情報も得られなかったと証言し、甲一四八によれば、毎日新聞社の丸山記者も、別件訴訟の証人として、東京本社から神奈川県警で取材している以上に強いニュアンスで女性がスパイ活動をしているようだとの情報が来たことと神奈川県警幹部の中に朝日記事1を否定する人はいなかったから朝日記事1は間違いないと判断したと証言する等、神奈川県警幹部を取り囲んで取材をしている状況において複数の記者が右のように証言していることからすれば、神奈川県警幹部の取材対応は非常に消極的なものであったと認められ、朝日記事1と重なりこれと関連する部分は、神奈川県警において積極的に情報提供したというよりは、朝日記事1の後追い記事であると推認される。

甲一四七によれば、読売新聞社の中村記者は、別件訴訟の証人として、読売記事3について神奈川県警の捜査幹部から情報を得たとしているものの、個々の記事の内容の情報提供源を神奈川県警と特定することなく公安当局の見方であると供述していて、神奈川県警の捜査幹部から聞いた情報自体が何ら特定されていないこと、産経記事4については、塩川外事課長と産経新聞社の記者との間で前記認定の後追い記事にしたことについての注意等のやり取りがあったことからすれば、それぞれ東京記事4の後追い記事ないし各本社記者の取材結果に基づき作成された記事である可能性も否定できず、右情報の要旨に記載されている情報を神奈川県警が情報提供したという証拠はない。

また、産経記事2、3に関する情報提供については、甲一五〇によれば、産経新聞社の井口記者が産経記事1を取材している時点で、既に同東京本社社会部ではA子が防衛機密を収集している疑いがあるという情報を有していたこと、産経記事2は、本社記者も現地取材をしたもので、横浜支局の井口記者が作成していない部分に、①原告が軍事機密を収集していた、②原告と同居している若い男性が姿を消している、③公安当局では原告が収集した極秘情報の漏洩に関わったと見られる防衛庁幹部や資料の特定を急いでいる旨が記載されていることが認められ、甲一五一、一五二によれば、右記事作成と同時期に神奈川県警幹部及び現地の者を取材していた中日新聞社の記者らは、原告のスナックに出入りしていたのは、防衛大学校生や若い自衛官であるとの情報を得たが防衛庁幹部が出入りしていたとの情報提供は受けていないこと、また、中日新聞社の鈴木記者の取材に対し、神奈川県警幹部は、防衛大学校生らを取調べた結果、これらの者は原告と交遊関係はあったものの、防衛情報の収集の依頼等はなかったようだと答えていることが認められるうえ、前記一、二で認定した捜査経過と産経記事2、3に対応する各情報の要旨は矛盾することが認められ、これらを総合考慮すると、井口記者が神奈川県警から、産経記事2、3の情報提供を受けたと認めることはできない。

読売記事4のイ、産経記事7のアイは、この情報提供をしたと認める的確な証拠がない。

毎日記事3のイウのうち、高性能ラジオの押収に関するものについては、前記認定のように原告宅及びAの捜索差押えに際し、ラジオが差押えるべきものとされていることは認められるが、高性能ラジオが押収されたという証拠はなく、また、甲一四六によれば、読売新聞社の柿谷記者は、別件訴訟の証人として、神奈川県警幹部は、原告がスパイであることを示すような物証が押収されている事実はないと一貫して否定していたと証言していることからしても、右情報が神奈川県警から提供されたと認めることはできない。

また、毎日記事4に対応する情報提供については、甲一四九によれば、毎日新聞社の千々部記者の取材結果及び記事自体に、原告の逮捕事実と原告が逮捕当時居住していた××マンションの賃貸借契約に係る事実との混同が見られ、右千々部記者の別件訴訟における証人としての情報提供に関する供述は、その正確性は非常に疑わしいものであるから、これを認めることはできない。

東京記事4に対応する情報提供については、丙九七及び証人塩川実喜夫の証言によれば、塩川外事課長は、右記事の配信後速やかに各社の記者に対して、柴田と原告が一緒に写っている写真の入手及び偽造旅券の存在を否定する旨の説明をしていることが認められ、また、前記認定の捜査の過程においても、柴田と原告が肩を並べたカラー写真を原告に対し示して確認した形跡はないが、甲一五一、一五二によれば、鈴木賀津彦記者は、別件訴訟の証人として、これに関し、神奈川県警は、各社の記者に対し、東京記事4は捜査で把握している事実と違うとの事情説明をしたが、それは、写真がないというのではなく、当時の説明では、写真で確認するとは、科学捜査研究所で写真の鑑定をし、さらに本人の確認も取った上でのことをいうのであって、そこまではしていないということであったとし、偽造旅券についても、取材の際に提供された情報は、偽造旅券という物があるのではなく偽造旅券を使ったと見られる行動があったとの情報で、その後の神奈川県警も、偽造旅券の所持行使ということで捜査を進めていることについて否定したものではないと供述している。

しかしながら、同記者が右情報提供者を明らかにしないのは、取材源の秘匿という理由からやむを得ないとしても、本件全証拠を検討しても、右のようなカラー写真及び偽造の旅券が押収又は任意提出され、若しくは神奈川県警が他からこれらを入手したと認めるに足りる証拠はないし、前記認定の事実によれば、当時柴田が逮捕された約一か月後であって報道各社の取材競争が激しかったことが推認されるのに、塩川外事課長の右説明後は、後追い記事と認められる産経記事4以外にこの点に関する記事は出ていないうえ、塩川外事課長が本件被疑事件の捜査主管課長として、報道内容につき否定的説明を東京記事4の配信された直後にしているにもかかわらず、これに反する事実を前提とするごとき情報を神奈川県警幹部が提供したとする鈴木記者の前記供述は、不自然、不合理であって、にわかに採用することはできず、そうすると、東京記事4のイエの情報提供があったと認めることはできない。

さらに、東京記事4のキは、具体的なものではあるが、前記一、二認定の事実に照らし、かつ、本件当時、大韓航空機爆破事件をめぐって、その犯人である金賢姫の教育係が、李恩恵という女性であることは、一般に知られており、これを捜査することは、神奈川県警にとって当然のことであり、そのことに関連させて同記事を作成することも容易に推測され、他に、同記事を裏付けるに足りる証拠もないので、同情報の提供があったと認めることはできない。

なお、読売記事6、毎日記事7、8及び産経記事8は、いずれも後追いないしそれまでの情報を整理して作成されたものであることは、弁論の全趣旨により明らかであり、これに添う情報提供が別にされたものと認めることはできない。

次に、奥村警備部長が、同月一四日ころ、原告の海外渡航歴を説明するに当たり、原告の第一回目の海外渡航にまつわる情報を提供したことは、これら情報に対応する内容を、翌日配信の朝日記事4、毎日記事6、東京記事6の複数の新聞が取り上げていることから推認され、その反面、原告の右期間中の渡航の目的については、各社の記事に統一性、関連性がないことから、これについての奥村警備部長からの情報提供はなかったものと認めるのが相当である。

(二) ところで、被告県が原告に関する情報提供を否定するものでも、取材記者の情報取得時の神奈川県警の情報提供の方法及び内容が具体的で、取得した情報とこれに基づく記事の内容が合致し、記事自体の記載も非常に具体的なものや、取材記者の証人としての証言が前記認定の捜査の過程又は取調べ時に捜査官が原告に対してした質問内容等から推測される神奈川県警の捜査方針と合致していてこれらが誇張なくほぼ正確に現れているものについては、取材記者が証人尋問において、取材源の秘匿を理由として、取材源である特定の司法警察員の氏名を明示しなかったとしても、相当限られた範囲の取材源を概括的ないし択一的に証言した場合、取材した記者の創作や推量を超えるものとして、神奈川県警に所属する者がその情報を提供したものと認めるのが相当であり、前記1で認定の各情報にはいずれも右の事情が認められる(ただし、右(一)の情報及び情報提供が神奈川県警によるものか横浜地検、警察庁等によるものかが特定できないもの(朝日記事2のア、3のアイウエ、読売記事2、毎日記事2)は、神奈川県警からの情報提供と断定できないので、これは除く。)。

3  名誉棄損の成否

右認定のとおり、神奈川県警は、原告の本件被疑事実につき公式発表や記者会見はしておらず、外事課で協議をして提供した情報で、情報提供者や日時等が明らかであるのは、①原告の逮捕事実を含む本件被疑事実、②原告の年齢、③原告の渡航歴、④原告釈放日における原告の処分内容のみであり、また③に付随して奥村警備部長が原告の第一回目の渡航にまつわる情報を提供したことは明らかであるが、右2(二)で認められたその他の情報は、神奈川県警所属の司法警察員の少なくとも一名以上が取材記者にその旨の情報を提供したことは認められるものの、情報提供者及びその具体的発言内容、取材者の質問方法等は不明である。

しかしながら、司法警察員による情報提供につき、提供者が特定できず、また、いわゆる公式発表ではなくとも、神奈川県警所属の幹部ないし司法警察員が、原告が被疑者として取調べられている事件の捜査継続中にしたもので、捜査当初から記者らの取材を受けないよう厳重な注意がされている状況で情報提供したものは、その情報提供者が、自己の提供した情報が記者により報道される危険を十分認識しながらその職務を行うにつきこれをしたものというべきである。

(一) まず、神奈川県警所属の司法警察員により提供された情報は、原告が本件被疑事実を犯したことのほか、①原告と北朝鮮工作員との関係(読売記事4のア、東京記事4のウオ(前段)、毎日記事6のアイ)、②原告とよど号事件犯人との関係(毎日記事5のア、東京記事4のア、同5のエ)、③原告のスパイ活動及び秘匿性のある行為(東京記事2のア、同4のウ、同5のエ、同7のアイ)、④被疑事実以外の余罪の存在(東京記事2のイ)を示唆するものである。これらの情報は、捜査により判明した事実とこれに基づく捜査官の意見であり、これらは情報提供がなされた当時の社会状況と相まって、原告が、北朝鮮工作員及びよど号事件犯人と関係を有し、氏名を偽って秘匿性のある活動に従事していたとの疑いを世間一般人に抱かせるもので原告の社会的評価を低下させ、その名誉を棄損するものというべきである。

(二) しかし、原告が取調べに対し黙秘しているということ及びその状況を記した産経記事5のイ、6のアイウ、親に居場所を知られたくないから偽名を使ったとの供述を記した東京記事5のウ、Aに出入りする客筋を明らかにした東京記事4のカは、いずれも原告の社会的評価を低下させるものではなく、毎日記事3のエ、同5のイ、東京記事3、同4のオの後段、同5のアイについては、これらの情報に対応する記事には、右要旨を内容とする記述はなく、原告の社会的評価を低下させるものとはいえない。また、産経記事5のアについては、産経新聞本社記者が取材して得たラジオの名称「Aスリー」が付け加えられ、これが原告宅から押収されたとされている等、司法警察員の情報は、同新聞社の有する情報や見解による変更が加えられて変容しており、司法警察員の行為による名誉の侵害とはいえない。

4  提供された情報の公共性、公益目的及び真実性について

本件の神奈川県警所属の司法警察員による情報提供は、右認定の限度において、原告の社会的評価を低下させる内容のものであり、原告の名誉を棄損する。しかしながら、司法警察員が捜査中の事件につき報道記者に対し事件内容に関する情報を提供することにより、他人の名誉を棄損する結果となった場合でも、それが公共の利害に関する事実に係るものであり、専ら公益を図る目的で情報が提供された場合、その情報が真実であるか、又はそれが真実であると信じるについて相当の理由があるときは、右情報の提供による不法行為は成立しないと解するのが相当である(いわゆる真実性、相当性の法理。

原告は、いわゆる真実性、相当性の法理は、国家機関のする情報提供には適用されないと主張するが、司法警察員は、警察の一員として、犯罪予防(警察法二条一項)の見地から、あるいは国民の知る権利を充足するために、被疑者の犯罪にかかる事実を公表することがその職務上から必要な場合があり、この場合に、私人の名誉との間で衝突が生じることがあるから、その調整のためには、右法理の適用を肯定するのが相当である。

一般に、犯罪捜査の段階は、捜査官の主観的な嫌疑がその裏付けとなる証拠の収集によって漸次客観化されて行く過程であるから、この段階で客観的な真実に合致した真実の公表を捜査官に求めるのは困難なことがあるが、犯罪捜査に当たる捜査官は、被疑者の名誉を不当に害することのないよう慎重な配慮をなす必要があること(刑訴法一九六条)は当然であり、その情報提供は被疑者の名誉に配慮したものであることを要する。換言すれば、提供された情報が後に真実に符合しないと判明した場合は、捜査官が犯罪捜査に当って通常払うべき注意を尽して、周到な捜査を遂げ、その結果得られた捜査資料によれば、被疑者の嫌疑が極めて濃厚で、右のような誤りも無理からぬと認め得る場合、すなわち情報提供当時、当該被疑者について容疑事実(背景事情等の情状に関する事実も含む。)の存在を信じるにつき相当の理由があることを必要とすると解するのが相当である。

そこで、神奈川県警所属の司法警察員が提供した情報が右の要件を充足するか否かにつき検討する。

(一) 提供された情報の公共性及び公益目的について

前記認定のとおり、本件各情報の内容は、未だ公訴の提起されていない原告の犯罪事実、犯行の動機、原因、犯行に至る経緯、その他情状に関する事実及びこれらについての捜査官の見解に当たるから、公共の利害に関する事実であり、また、本件捜査当時は、大韓航空機爆破事件の発生など、北朝鮮工作員が関与したと思われる事件が報道されると共によど号事件犯人の柴田が日本国内に潜伏していたところを逮捕されるなどの情勢下にあり、原告の本件被疑事実の情状に当たる背景事情等について、国民の関心が高まっていて、神奈川県警所属の司法警察員において国民の知る権利を充足するに足る情報をある程度提供せざるを得ない状況にあったものと認められ、前記認定のとおり、神奈川県警の報道対応は概して消極的なものであったことからすれば、右情報提供は、ことさらに報道機関を利用して原告を北朝鮮のスパイに仕立てる目的に出たものとは認められず、国民の知る権利を充足するためにしたもので、その目的は専ら公益を図る目的に出たものであると推認することができる。

(二) 情報の真実性について

朝日記事4のアイウ、読売記事5、毎日記事3のア、オ、同7及び東京記事6のアイについては、まず、①原告の逮捕事実を含む本件被疑事実、②原告の年齢、③原告の渡航歴とこれに付随する原告の第一回目の渡航状況、④原告釈放日における原告の処分内容に関するものであり、これらは、前記一、二で認定した事実によれば、いずれも真実であることが認められる。

毎日記事5のアについては、この情報は、捜査により判明した事実のほかにこれに基づく司法警察員の意見も加えられているが、右意見については、その前提となる主要な事実が真実であるか、又は真実と誤信するについて相当な理由がある場合に免責されるとするのが相当である。ところで、右情報の基礎となる事実は、原告の住所録と柴田の住所録との間に共通する記述が見られたこと、原告の開設していた銀行口座の暗証番号がよど号事件犯人の田宮高麿の生年月日が使用されていたこと、原告も柴田もボランティア団体に所属していたことであるが、前記認定のとおり、原告は、右住所録の記述は知らない男性から劉に伝言を頼まれたものであり、銀行口座の数字は劉に言われたものをそのまま使用しただけであると供述しているが、原告の認識を除く外形的事実は真実であって、これらの事実及び原告はキムの写真を劉であると供述したことが捜査上判明していたことからすれば、司法警察員が毎日記事5のアのような疑いを持ったのは、相当の客観的裏付けを有するものであるから、右意見表明につき免責されるものと解するのが相当である。

東京記事2については、同記事のアは、その基礎となる事実は、原告が長期間にわたり偽名を使用していたこと、原告が現在実名に戻していることであり、このうち原告が使用していた氏名が偽名か通称かは、捜査中であったが、原告はあえて自己が居住していない別の住所の住民異動届をするなどしていたから、右氏名を偽名と判断するのは相当の理由があるということができ、これらの事実からすれば、司法警察員が東京記事2のアのような疑いを持ったのは不相当であるとはいえず、また、右記事のイは、前記一認定のとおり真実と認められる。

読売記事4のア、毎日記事6のアイ及び東京記事4のウオ(前段)は前記一、二で認定したとおり真実と認められる。捜査の方針として示されている東京記事4のアは、原告とよど号事件犯人の柴田との間に、住所録の記載、キャッシュカードの暗証番号等の双方の関連性を示す証拠があり、また、原告が欧州で接触していたキムは、原告とは別の日本人女性とも行動を共にし、その女性とキムとはやはり欧州でよど号事件犯人の阿部公博と接触していたことを示す証拠が存在していたことからすれば、原告と柴田がキムを介して欧州で接触していたと疑うことは、相当性があるといえる。

東京記事5のエは、前記毎日記事5のアと同様、司法警察員の意見が相当であるとする客観的な裏付けが存在すると認められる。

東京記事7のアは、前記一、二で認定した原告宅からの押収物と主要な点で合致し、同記事のイは、司法警察員の見解を示すものであるが、前記一、二の認定のとおり、原告は、劉の指示の下、ホテルのパンフレットを集め、書籍、衣類及び装飾品等を購入し、公園等の写真を撮影して、これらを劉に渡して報酬を受け取ったり、知らない男性からの伝言を劉に伝えたり、劉の指示した数字を銀行等のキャッシュカードの暗証番号として使用したりして、その限度で劉の活動に協力していたことが認められるのであって、原告が依頼された事項は、機密性がなく、容易に処理できるものではあるが、劉からの指示(メモは破って棄てること、他人に不審がられたら写真マニアを装うこと等)と合わせ考えると、右イの司法警察員の見解は相当性を欠くものとはいえない。

(三) 以上の検討によれば、原告が主張する本件情報提供のうち、証拠により認められるものは、いずれも名誉を棄損するものということはできない。

5  情報提供によるプライバシー侵害

他人に知られたくない私的な事柄をみだりに公表されないという利益(プライバシーの権利)も一定の法的保護が与えられるべきであり、そのための要件としては、公表された事柄が、①私生活上の事実又は私生活上の事実らしく受け取られるおそれのある事柄であること、②一般人の感受性を基準にして、当該私人の立場に立った場合、公開を欲しないであろうと認められる事柄であること、③一般の人に未だ知られていない事柄であることを要するところ、原告の住所、職業、年齢、渡航歴、ボランティア活動、交遊関係は、個人情報に属する事項として、プライバシー保護の対象になると解される。

しかし、プライバシーとして保護される事項であっても、これを公表することが公共の利害に関する事項に係り、かつ、専ら公益を図る目的でなされ、しかもその公表された内容に対する社会一般の関心が正当なものと認められるような場合には、司法警察員の情報の提供も国民の知る権利に奉仕するものとして相当と認められる範囲内にあり、違法性を欠くものというべきである。

前記認定のように、右事実は、原告の本件被疑事実とその背景事情に関するものであって公共の利害に関する事項に係り、かつ、専ら公益を図る目的でされ、当時の社会一般の正当な関心事として認められる範囲内にあるものと解するのが相当である。そして、原告の交遊関係(東京記事5のイ)についての情報提供は、社会的関心事として認められる範囲を超える情報の提供であるが、この事実は報道されなかったものであり、原告のプライバシーが侵害されたと認めることはできない。

第七  結論

よって、原告の本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却することとする。

(裁判長裁判官川波利明 裁判官千川原則雄 裁判官阿部和桂子は、退官のため署名捺印することができない。裁判長裁判官川波利明)

別紙押収物一覧表〈省略〉

別紙警察における原告の取調時間一覧表〈省略〉

別紙捜査官の取調べ態様〈省略〉

別紙

新聞記事一覧表(1)朝日新聞 注 配信日は、いずれも1988年(昭和63年)

記事

発行日

種別

見出し

情報提供月日

場所

情報提供者

相手方

情報の要旨

情報提供

方法

1

6月4日

朝刊

北朝鮮工作員?と接触/日本人女性を逮捕/「よど号」犯人とも会う?/神奈川県警

5月26日から6月2日

県警幹部自宅、県警本部内(警備部長室、外事課室、刑事部長室、刑事第二課室)

警備部長

外事課長

同課長代理

刑事部長

刑事第二課長

同課長代理

朝日新聞社横浜支局

鈴木啓一

記者

ア 原告が水上署に逮捕されて勾留されている。

イ 北朝鮮工作員と接触して、何らかの情報をこちらから提供し、同時に何らかのお金を貰っている。

個別取材に応じて情報を提供した。

2

6月8日

朝刊

「北」と接触の横須賀の女性/自宅に乱数表やドル札/工作員から渡される?

記事1と同じ

記事1と同じ。

記事1と同じ。

記事1と同じ。

ア 訳の分からない数字が並んでいる乱数表と見られるようなものが原告の自宅から押収された。

イ 100ドル札の新札が束で帯封が付いている。

ウ その金額は、相当量である。

エ ドル札は工作資金として受け取った可能性がある。

記事1と同じ。

3

6月14日

夕刊

よど号犯と連絡か/カード暗証、田宮高麿の生年月日と一致/北工作員と接触の甲野/口座に多額の入金

6月11日ころ

記事1と同じ。

記事1と同じ。

記事1と同じ。

ア よど号犯の田宮高麿の生年月日と一致する数字の暗証番号の銀行口座のキャッシュカードを原告が持っている。

イ キャッシュカードの具体的な暗証番号

ウ よど号犯の柴田の誕生日と同じ暗証番号のキャッシュカードを原告が持っている。

エ 原告が写真とか地図などを北朝鮮工作員に送っていた。

記事1と同じ。

4

6月15日

朝刊

「北」工作員と接触の甲野/海外へ隠密渡航/欧州などで七年間滞在

6月14日

県警警備部長室

警備部長

記事1と同じ。

ア 原告は、昭和52年に、香港に向けて出発し、その後7年間海外にいて、昭和59年に一旦戻った。

イ その後、6回渡航しており、6回とも短期である。

ウ 最初の渡航の際には、自分が海外にいるということを家族に知らせず、友人に日本国内から手紙を投函してもらって、日本に自分がいるかのように装っていた。

警備部長が、各社記者を集めて説明した。

別紙

新聞記事一覧表(2)読売新聞

記事

発行日

種別

見出し

情報提供月日

場所

情報提供者

相手方

情報の要旨

情報提供

方法

1

6月4日

夕刊

北朝鮮工作員と欧州で接触/32歳女性を逮捕/

6月4日午前

県警本部内

外事課

同警備部幹部

読売新聞社横浜支局

柿谷日出男記者

①県警外事課のメモ

ア県内の女性を有印私文書偽造同行使、公正証書原本不実記載の疑いで逮捕した。

イ逮捕容疑は、別の女性の名前を語って偽名を使ってアパートの大家と賃貸契約を結んだこととこの偽名で市役所に住民登録をしたということ。

②県警警備部幹部の話

逮捕された女性は完全黙秘している。

県警外事課が、6月4日午前9時30分ころ、広報課を通じて記者クラブにメモを出してきた。また、

県警警備部幹部への取材に応じて情報提供した。

2

6月6日

朝刊

女性経営者・工作員・商社/ナゾ濃い北朝鮮人脈/柴田の国内潜伏支援か

6月5日ころ

記事1と同じ。

記事1と同じ。

記事1と同じ。

逮捕された女性は完全黙秘している。

個別取材に応じて情報を提供した。

3

6月7日

朝刊

横須賀のスナック女経営者/「甲野」金賢姫らと接点/偽造旅券で「北」潜入/大韓機事件の直前/東欧で行動交錯

6月6日ころ

記事1と同じ。

県警外事課の捜査幹部

読売新聞社警視庁クラブの

中村清昭

記者

当該記事記載の内容

記事2と同じ。

4

6月15日

朝刊

「北工作員と接触した」/甲野認める/七年間欧州へ渡航

6月14日

県警横浜水上署県警警備部室

水上署幹部

警備部幹部

記事1と同じ。

ア原告は北朝鮮工作員と接触したことを認めている。

イ原告はその人物の正体を知っている。

記事2と同じ。

5

6月16日

朝刊

「北」工作員と接触の女性/略式の罰金で釈放

6月15日

県警警備部室

警備部幹部

記事1と同じ。

当該記事記載の内容

記事2と同じ。

6

5と同日

朝刊

横浜版

横須賀のスパイ疑惑/??だらけの終結/物証や供述ゼロ/身柄拘束の材料もなく

6月8日から15日ころ

県警横浜水上署県警警備部室

水上署幹部

警備部幹部

記事1と同じ。

ア原告は、接触した男性が北朝鮮工作員であることは知っていると供述した。

イ原告の自宅の捜査でも、乱数表無線機、偽造パスポートなどスパイであることを示すものはなかった。

記事2と同じ。

別紙

新聞記事一覧表(3)の1 毎日新聞

記事

発行日

種別

見出し

情報提供月日

場所

情報提供者

相手方

情報の要旨

情報提供

方法

1

6月4日

夕刊

北朝鮮工作員と接触?/渡航頻繁な女性逮捕

/神奈川県警

6月4日早朝から午後1時ころまで

警備部幹部自宅県警本部内

(警備部幹部室、外事課室)

外事課幹部

同警備部幹部

毎日新聞社横浜支局

丸山雅也

記者

ア逮捕された女性がスナック経営のA子32歳であることに間違いはない。

イ原告は過去4年半位外国に渡航している。

ウ北朝鮮工作員と接触している、「よど号」犯との関連についての情報をつかんで捜査している。

エ直接の逮捕容疑は有印私文書偽造であり、公正証書原本不実記載は直接の容疑ではない。

オ逮捕容疑は、アパートを借りるのに別の女性の名前を使って賃貸借契約を結んだこと。

カ渡航は原告の仕事上必要なことではない。

キ工作員と接触した場所はコペンハーゲンである。

ク住民登録を虚偽の内容で記載していた。

ケ原告は、逮捕容疑も含め「よど号」グループとの関連など一切を黙秘している。

個別取材に応じて情報を提供した。

2

6月5日

朝刊

湘南版

北朝鮮工作員らと接触?/エッ!あの美人ママが……/横須賀市民らびっくり

6月4日ころ

警備部幹部自宅県警本部内

警備部幹部

記事1と同じ。

当該記事のリード文記載の内容

記事1と同じ。

3

6月7日

朝刊

湘南版

不審な行動、さらに追及/北朝鮮工作員接触疑惑のスナックママ/10日間の拘置延長

6月6日ころ

県警本部内

外事課幹部

警備部幹部

毎日新聞社横浜支局の千々部一好記者

ア有印私文書偽造・同行使並びに公正証書原本不実記載・同行使の具体的な容疑内容

イ原告宅などの家宅捜査で、高性能ラジオや写真などを押収した。

ウ高性能ラジオとは、海外からの短波放送を受信できるラジオという意味である。

エ写真については、北朝鮮工作員から指示を受けて、こういうところを撮ってほしい、ああいうところを撮ってほしいという指示を受けていたということを裏付けるような写真を押収した。

オ原告は、この4年半に、計6回2~3か月海外旅行をしている。

準公式的な会見の場で、情報を提供した。

別紙

新聞記事一覧表(3)の2 毎日新聞

記事

発行日

種別

見出し

情報提供月日

場所

情報提供者

相手方

情報の要旨

情報提供

方法

4

6月8日

朝刊

横浜版

スナックママのアパート/“設計士”が賃貸借契約/北朝鮮工作員接触

6月7日

県警本部内

記事1と同じ。

記事3と同じ。

原告が自宅アパートを借りる際、予め契約を結んだ男が、その後行方をくらましており、契約書の記入した連絡先はでたらめだった。

記事1と同じ。

5

6月11日

朝刊

ボランティア組織化/スナック女経営者/工作員活動、隠れミノ

6月10日ころ

記事4と同じ。

記事1と同じ。

記事3と同じ。

ア 原告と柴田が同一の上部組織の指令を受け、ボランティア団体を工作員活動のカムフラージュにしていた疑いを深め、原告の店や自宅から押収した住所録などの分析をしている。

イ 原告が開設していた銀行口座の暗証番号が、「よど号」犯人の田宮高麿の生年月日が使われていた。

記事1と同じ。

6

6月15日

朝刊

コペンハーゲンで接触/52年から7年西欧に滞在中/甲野、工作員と/神奈川県警

6月10日

記事4と同じ。

警備部幹部。

記事3と同じ。

ア 原告が北朝鮮工作員とコペンハーゲンで接触した。

イ 原告は、北朝鮮工作員から日本国内の情報収集等の指示を受けている可能性が高い。

記事1と同じ。

7

6月16日

朝刊

横須賀の女性/略式起訴し釈放/「北」工作員と接触疑惑

6月4日から15日

記事4と同じ。

記事1と同じ。

千々部一好記者及び丸山雅也記者

当該記事記載の内容

(それまでの情報を整理して本件記事は書かれている)。

記事1と同じ。

8

6月16日

朝刊

湘南版

多くの未解明部分を残し/甲野さん釈放/捜査、一応のピリオド

6月4日から15日

記事4と同じ。

記事1と同じ。

記事7と同じ。

当該記事記載の内容

(それまでの情報を整理して本件記事は書かれている)。

記事1と同じ。

別紙

新聞記事一覧表(4)の1 産経新聞

記事

発行日

種別

見出し

情報提供月日

場所

情報提供者

相手方

情報の要旨

情報提供

方法

1

6月4日

夕刊

柴田と同じ乱数表を持つ女性逮捕/横須賀でスナック経営者/防衛情報収集か/神奈川県警

6月4日

県警本部

県警幹部

産経新聞社横浜支局

井口文彦

記者

ア店舗を借りる際に実在する無関係の男性の名前を使って賃貸契約をしたとして5月25日、県警に公正証書原本等不実記載の疑いなどで女性が逮捕された。

イスナック「A」は、昨年11月に開店していたが、保証金や家賃などで計二〇〇万円を超す現金を一度で払っていた。

ウ「A」には、防衛庁関係者らが出入りしていた。

エ原告の「活動資金」の出所について捜査を進めている。

個別取材に応じて情報を提供した。

2

6月5日

朝刊

米軍情報も流す/横須賀の乱数表の女/「北」の工作員と認める/自宅に不審な男性が出入り

6月4日

記事1と同じ。

記事1と同じ。

記事1と同じ。

ア原告と同居していた男性が姿を消しているが、その男性は、20歳代前半で、原告のマンションに同居し、「A」の仕事を手伝っていた。

イ原告は、北朝鮮の工作員であることを認めるなど自供を始めた。

ウ原告は、防衛庁の機密情報収集のほか、米軍横須賀基地に関する情報の入手にあたっていたことが分かった。

エ原告は、横須賀基地に入港する米海軍の空母や原潜に関する情報を入手して無線で打電していたとみられる。

オ原告が海外で接触した北朝鮮工作員の指示で、横須賀市に派遣された筋金入りの北朝鮮スパイであると見ている。

記事1と同じ。

3

6月5日

朝刊

県版

甲野花子逮捕事件/県警“県内組織”解明へ/姿消した同棲の男/甲野素人っぽく客に人気/周囲の店も不思議がるほど多い防衛庁関係の客

6月4月ころ

記事1と同じ。

記事1と同じ。

記事1と同じ。

ア原告は、防衛関係者に深く食い込んで情報を入手しようとしていたらしい。

イ原告の自宅から防衛庁の「軍事秘密」と見られるメモなど多数が押収されており、これが原告のスパイ容疑の根拠になっている。

記事1と同じ。

別紙

新聞記事一覧表(4)の2 産経新聞

記事

発行日

種別

見出し

情報提供月日

場所

情報提供者

相手方

情報の要旨

情報提供

方法

4

6月7日

夕刊

甲野、北朝鮮諜報組織の/工作員名義の偽造旅券所持/“柴田入国”の指令受ける?

6月6日ころ

記事1と同じ。

県警幹部

県警捜査員

記事1と同じ。

ア 原告の自宅の家宅捜査で、他人の写真を貼ったようなものが出たらしい、どうもパスポートのようだ。

イ 原告は、北朝鮮系の商社の元女性幹部社員の名義のパスポートに原告の顔写真を貼った偽造パスポートを所持していた。

ウ この女性は、原告がデンマークで接触した男性工作員と共に、日航機「よど号」ハイジャック犯の一人柴田泰弘の旅券名義の兄夫婦が務めていた北朝鮮系の商社の元幹部である。

記事1と同じ。

5

6月10日

夕刊

横須賀のバーママ、甲野/「北」で特殊訓練?

6月10日ころ

記事1と同じ。

記事1と同じ。

記事1と同じ。

ア 高性能ラジ才で情報を原告がキャッチしていた可能性はあるというような疑いを持っている。

イ 原告は、北朝鮮工作員と接触した以上の諜報活動の有無について、核心に触れる供述をしていない。

記事1と同じ。

6

6月12日

朝刊

三者三様黙秘崩さず/甲野唇かみしめ

6月11日ころ

記事1と同じ。

記事1と同じ。

記事1と同じ。

ア 原告は、取調官に対し、生い立ちや趣味の話などを冗談も交えながら陽気に話している。

イ 話の中身が、工作員としての役割やスパイ活動の実態などになると、困惑した表情を見せ、黙りこくってしまう。

ウ 唇をかみしめ、血がにじみでたこともあった。

記事1と同じ。

7

6月14日

夕刊

甲野、欧州に長期滞在/東側にも入国/「北」工作員と接触か

6月14日ころ

記事1と同じ。

記事1と同じ。

記事1と同じ。

ア 原告は、昭和56年ころから約3年間、ヨーロッパに長期滞在していた。

イ この3年間の欧州滞在中に北朝鮮に密入国し、工作員としての特殊訓練を受けていた疑いを強めている。

記事1と同じ。

8

6月16日

朝刊

県版

本件「北」の工作員は“灰色決着”/横須賀のカフェバー女性経営者の略式起訴、釈放/20日間、沈黙守る/「逮捕は見切り発車」の声も

6月4日から15日まで

記事1と同じ。

記事1と同じ。

記事1と同じ。

20日間完黙を守ったなど当該記事記載の内容

(それまでの情報を整理して本件記事はかかれている)

記事1と同じ。

別紙

新聞記事一覧表(5)の1 東京新聞

記事

発行日

種別

見出し

情報提供月日

場所

情報提供者

相手方

情報の要旨

情報提供

方法

1

6月4日

夕刊

北朝鮮工作員と接触/スナック経営女性を逮捕/

6月4日

県警本部長自宅県警本部内

(本部長室、警備部長室、外事課室)

県警本部長

警備部長

外事課長

同課長代理

中日新聞社横浜支局

鈴木賀津彦記者

①県警本部長の提供した情報

ア北朝鮮工作員と接触した横須賀市内の女性を逮捕している。

イ逮捕容疑は、有印私文書偽造同行使、公正証書原本不実記載である。

ウ現在も取調中である。

エ有印私文書偽造同行使は、住まいを借りる際に架空名義で契約したことであり、公正証書原本不実記載の容疑事実は、営業許可申請のようなものを別の男性の名前を使って行ったものである。

オ北朝鮮工作員は西欧に駐在する外交官で、朝鮮労働党の連絡部の幹部であり、以前から公安当局がマークしている人物である。

カこの北朝鮮工作員は、かねてからヨーロッパで日本人と接触している。

キこの北朝鮮工作員は「よど号」ハイジャック事件の犯人グループとも接触している。

②外事課長又は課長代理の提供した情報

ア県警本部長の話の確認

イ逮捕した女性は渡航歴が数回あり、1986.10ころ今の住居に転居してその後間もなくスナックの経営を始めている。

個別取材に応じ

て提供した。

2

6月5日

朝刊

北朝鮮工作員と接触の女性/偽名、実名使い分け/

6月4日

記事1と同じ。

記事1と同じ。

記事1と同じ。

ア長期にわたって偽名のままでいると不審に思われ捜査当局からマークされる危険性が高いことから本名を名乗りでたものと思われる。

イパスポートの申請の際、自分の住所地でない住所地で申請をしているが、これは手続上問題があり、旅券法違反の疑いがあり、その疑いでも迫及している。

記事1と同じ。

3

6月5日

朝刊

横浜版

北朝鮮工作員と接触?のスナック経営の女性逮捕/

“基地の街”の側面生々しく/客大半が防衛大生/横須賀/深夜のカラオケ偽装工作?

6月4日ころ

記事1と同じ。

記事1と同じ。

記事1と同じ。

当該記事記載の内容

原告が海外の人と連絡をとるときに、人に知られないように様々な工夫をしている。

記事1と同じ。

別紙

新聞記事一覧表(5)の2 東京新聞

記事

発行日

種別

見出し

情報提供月日

場所

情報提供者

相手方

情報の要旨

情報提供

方法

4

6月6日

朝刊

北朝鮮工作員と接触の女性/柴田と欧州で会う/神奈川県警/証拠の写真入手/恩恵調査で浮かぶ

6月4日夜から6月5日

記事1と同じ。

記事1と同じ。

記事1と同じ。

ア県警が、甲野と柴田が接触してしいる、会っているということで捜査している。

イ2人はヨーロッパで会っている、2人並んだ写真もある

ウ北朝鮮工作員は、西欧駐在の外交官で、年は50歳であり工作員の責任者だ。

エ県警は、旅券法違反で立件しようということで捜査を進めており、偽造旅券の所持・行使ということも調べている。

オ自宅の家宅捜索では、チュチェ思想という北朝鮮の革命思想を学習した記録や、自衛官からのラブターというようなものが押収されている。

カスナックには、防衛大学校生や若い自衛官、米軍人も訪れている。

キ金賢姫の教育係が李恩恵という女性であり、その女性を捜査している中で浮かび上がって、恩恵ではないかということで県警は捜査した。

記事1と同じ。

5

6月14日

朝刊

横浜版

北朝鮮工作員と接触?の甲野はこんな女/米軍人らと親交/偽名で借りたアパートで

6月13日

記事1と同じ。

記事1と同じ。

記事1と同じ。

ア防衛大生や自衛官についてかなりの人数を調べた。数十人。

イそのうちの何人かはアパートに泊まっていた。

ウ容疑事実を全面的に認め、「親に居場所を知られたくないから偽名を使っただけ」と供述している。

エボランティア名目で何らかのネットワークを作ろうとしていたらしい。

記事1と同じ。

6

6月15日

朝刊

52年から7年間欧州に/

工作員事件の甲野/北朝鮮外交官とも接触

6月14日

記事1と同じ。

記事1と同じ。

記事1と同じ。

ア原告の渡航歴

イ原告が「欧州各国でアルバイトをしていた」と供述していた。

記事1と同じ。

7

6月16日

朝刊

諜報活動に利用された?/

釈放の女性店主

/『単なる連絡係』の見方も/基地の街、波紋さまざま

6月15日

記事1と同じ。

警備部長

外事課長

外事課長代理

記事1と同じ。

ア原告の自宅から、国外で手にいれた新品の多額のドル札や、不審な金が入金されている預金通帳などが見つかった。

イ原告が工作活動に本格的に加担するのを妨げたかもしれない。

記事1と同じ。

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